4004マイクロプロセッサの開発がほぼ完了して帰国するときのこと。せっかくアメリカに来ているので,オハイオ州のデイトン,ニューヨーク,イギリス,フランス,ドイツ,イタリア,とプリンタ付き電卓のOEM先を回って帰ることにした。OEM先の要望を調査してプリンタ付き電卓の新製品の詳細な機能仕様を決めるためである。

 NCRの本社があるデイトンは,世界で初めて有人動力飛行をしたライト兄弟が住んでいた町だ。イングランド風の建物が多く,落ち着きのある街並みだった。プログラム論理方式を採用したプリンタ付き電卓の1号機を開発した技術者が訪問するという宣伝がきいたせいか,空港にはリムジンが待っていた。

 翌日は朝から会議を始め,昼食になると役員用の食堂に案内された。60人も座れるような磨き抜かれた目を見張るほど大きなU字型のテーブルが2セットもあった。ビジコンの開発技術者だと紹介され,たどたどしい英語で自己紹介と訪問の目的を話した。何を話したかも思い出せないぐらい緊張していた。電卓の仕様よりも,品質管理や信頼性管理に話が集中した。このときは,後にNCRから電卓の耐久性試験のためにひたすらキーボードをたたき続けるロボットが持ち込まれるとは思ってもいなかった。

 イギリス南西部のブリストルには日本計算器からの駐在員がいて大変お世話になった。当時のイギリスではウイスキーは貴重な輸出品であり,海外よりもイギリス国内の価格の方が高かった。何も知らずに,手ぶら行って恥をかいた。

 ブリストルの西にあるエイボン(Avon)渓谷には,1864年に完成した,両側に石の塔を配した全長702フィート,高さ250フィートのクリフトン吊橋(Clifton Suspension Bridge)がかかっている。実に美しく素晴らしい橋であった。今でも,1日に1万2千台ほどの車が利用している。

 旧市街は,石畳の道と石造りの建物が続く,中世を思わせる街並みだった。居心地の良いパブや,香港で撮った1950年代後半のアメリカ映画に出てくるようなチョプスイ料理を出す中華料理店に連れて行ってもらい,旧き良き時代のイギリスを満喫した。その後5回ほどイギリスを訪れたが,のどかな田舎道を通って田園地帯へと足を踏み入れるたびに,何度来ても良いところだと改めて感じた。

 ただ,英会話をアメリカのカリフォルニアで自己流に覚えたせいか,発音,アクセント,イントネーションなどがイギリス英語と全く違うのが気になった。ロンドンのリンカーン(Lincoln)ホテルに行くだけでもずいぶんと時間が掛かった。

 ドイツのミュンヘンに行ったのは,ミュンヘン・オリンピックの2年ほど前でちょうど工事が進行中であった。タクシーに乗ると運転手がたどたどしい英語で話し掛けてくる。家庭的なホテルに泊まると女性のオーナーがやはり英語で話し掛けてくる。オリンピックでドイツに来る観光客に気持ち良く楽しんでもらうためには,英語をマスターすることがまず第一歩であり,目下勉強中とのことであった。英語を話そうとしないフランス人とは対象的で,何事もまじめに取り組む国民性がそのまま現れているという印象を受けた。

 OEM先の事務所を訪ねると,エッジカードに客先の住所や慣用的な文章などをあらかじめパンチしておくことで,ビジネスレターを効率よく作成する方法について説明してくれた。エッジカードは,さん孔紙テープの紙幅を広げてカード形式にした媒体である。それを紙テープ読み取り装置とテープさん孔装置を備えた電動タイプライタで読み込んで自動的にタイプアウトし,その上に必要な文章を手でタイプするのである。何ともまじめな人々である。

 ヨーロッパのすべての都市は,まだファースト・フードの店がないころだったこともあり,街自体が非常にきれいだった。いずれも異なる永く豊富な深い歴史を背景に,特徴のある,かつ何かを主張しているような厳しさと美しさがあった。ヨーロッパで個性的,斬新かつ独創性あるアイデアが生まれる理由が分かったような気がした。