クリエイティブという言葉は今や様々な方面で使われすぎてしまい,やや軽薄なイメージがします。しかし,デザイナーやエンジニアにとっては,やはり大切な,重みを持つ言葉だと私は思います。

 「クリエイティブとは何か」を問えば,人によって千差万別で答えは一つではないのかもしれません。それでも,「新しいことを考える力」というのは共通の認識としてあるのではないでしょうか。

 プログラミングのやり方を学ぶだけでは,プロのプログラマーにはなれません。学んだ技術を使って,何をどうプログラミングするのかが大切ですよね。デザイナーも同じです。なのに,MacのグラフィックソフトやHTMLを学んだだけで,グラフィックデザイナーやWebデザイナーになれると勘違いしている若い人がたくさんいます。

学生なら時間をかけてクリエイティブな力を身に付けられるが…

 東京芸術大学のデザイン科は1,2年生のときに徹底的にデッサンや日本画の模写,彫刻をさせられるとか。それもグラフィック,工業,空間デザインの異分野の全員が同じ課題に取り組み,3年になってやっと専門デザインのカリキュラムが始まるそうです。はじめの2年間で自然と人間,生活と衣食住のテーマに取り組んで観察力や思想や考え方を養い,後半の2年間で専門のテクニックと知識を教えていくというのです。

 これを聞いて私は,デザインはいかに社会性が強い仕事なのか,芸大はキチンと教育しているなと思いました。クリエイティブな発想や思想というのは,おそらく最初の2年間で培われるのでしょう。

 しかし,見方を変えれば,学生だからこんな悠長なことができるとも言えます。まことにうらやましい限りです。これに対し我々プロは,日々の忙しい仕事をこなしながら,それと同時にクリエイティブの力を養成しなければなりません。では,どうしたらいいのでしょうか?

良いアウトプットには,良いインプットがなければならない

 プロ野球の選手は,シーズンオフにキャンプで特訓をします。基礎体力の養成,筋肉トレーニング,栄養学に即した食事,スイングやピッチングの技術習得,メンタルトレーニング,チームワーク育成など,様々な能力のレベルアップに努めます。

 トレーニングがインプットだとすると,試合はアウトプットです。私たちデザイナーやエンジニアは,シーズンというのは一年中で,日々のプロジェクトの一つひとつが試合だと言えるでしょう。

 しかし,試合だけで実力をつけていくというのでは,練習量が少なすぎるし,練習のために試合を落とすわけにもいきません。これと同じで,ひたすら仕事に取り組み,経験をたくさん積んでも,デザインのアウトプッットだけが続くとアイデアは枯れてきて,デザインもマンネリになってきます。

 一方,新しい表現やビジュアル,テクノロジーの技術はものすごいスピードで変わっていきます。新しいアウトプットを出すには,スポーツ選手と同じく,たくさんの新しいインプットが必要になるのです。

 そこで私の会社では,デザインの年鑑や書籍を大量に購入します。美術館や映画,演劇も,会社の経費で落とします。デザイナーのインプット行為にはお金をケチりません。今月にはとうとう,会社そのものを青山ブックセンター(クリエイティブ関連の本の品揃えが充実している書店)本店の近くに移転してしまいました。

やったことのないことが最良のインプットになる

 しかし,本を読むよりももっと効果的なインプットがあります。それは「非日常的な世界を体験すること」です。

 コンビニのお弁当や定食ばかり食べていてはダメなのです。たまにはランチが2000円するイタリアン・レストランに食べにいったり,また逆に演歌が流れている場末のそば屋でたぬきそばをすすってみる。ハイソな高級レストランに行って,一流と言われるサービスと料理,空間デザインを堪能してみる。かたや競馬新聞の読み方を習い,競馬へ行って馬券を買ってみる。そして馬券が木枯らしに巻き上がるなか,場内のめし屋のモツ煮丼を怪しいおじさんたちに混じって立ち食いしてみる。秋葉のフィギアショップをのぞいてみる,10代の少女たちが読む雑誌を買ってみる——やってみないとわからないことや,起こらない感情がたくさんあります。

 例えば「釣り」。以前まで私はオヤジの趣味だと決めつけていましたが,やってみると,あれは“狩り”であり“格闘技”であり,まさにスポーツだなと感じました。はたからはボーっとしているように見えますが,一瞬も気を許せず,頭は常に回転している状態だったのです。さえないおやじがイカス男たちに見えてきました。

 陶芸もやるまでは,「ただの壷がなぜ何千万円もするのだろう」と思っていましたが,実際に自分で土をこねて,釉薬の化学変化や窯の温度との関係を計算して作ってみて,その難しさがわかりました。もちろん,計算通りなんかにはいかないのが普通です。私は陶芸を始めて3年ぽっちなので作品を見る眼をまだ持っていませんが,以前とは全く違う視点で作品を見ることができるようになりました。

 見え方や感じ方が以前とは違ってくるということは,見え方や感じ方の幅が広がるということです。つまり「インプットの質」が違ってくるということ。そうでなければアウトプットのクオリティも高まらないのです。

 そうすると,何が変わってくるかというと,「そうじゃなくたって,いいのかも」「一見そのように感じるけれども,実はそれって違うのかも」と,自然に思えるようになるのです。そう思えてはじめて,「新しいこと」ができるのだと思います。クリエイティブの力を養成するにはこのような心の状態が必要なのです。

 非日常的な世界は,すぐ“隣”に存在しています。しかしあちら側からは扉は開きません。こちらから能動的に開いていくしかないのです。ぜひ,皆さんもできるところから,“やったことのないこと”に挑戦してみてください。


非日常的な世界を体験するといっても,くれぐれも風俗にのめり込むとか,ヤバイ世界に足を踏み入れるとかはしないように!