前回,会社を抜け出して松永真氏の個展に出かけ,松永氏から長時間お話をお伺いしたことを書きました。その中で一番印象深かったお話が,「グラフィックデザイナーというのは,モハメド・アリのように,蝶のように舞い,蜂のように刺す仕事なんですよ…」と言われたことです。そのときは,あまりピンとこなかったのですが…。

大局をつかみつつ,ポイントをはずさないこと

 「蝶のように舞い,蜂のように刺す」とはモハメド・アリのボクシングを表した言葉です。アリは,ヘビー級に軽やかなフットワークによるボクシングを持ち込み,相手を翻弄(ほんろう)させ,狙いすまして強烈な一発を食らわせるという独特なボクシングのスタイルを持っていました。

 デザイナーは,クライアントの問題や課題に対して,何が問題なのか,本質は何なのか,どうすることが最善なのか,その解決策と方法論を分析/検討する作業を行います。そのことを松永氏は,問題の周辺を蝶のようにひらひらと舞い,大局を俯瞰(ふかん)して見る様にたとえたのです。

 そして蜂のように刺すというのは,ミリ単位で線の太さやレイアウトを調整したり,文字組の微妙なアキを定めていったり,色のトーンのかすかな違いを選別していったりという,技術的,職人的な技や能力を指しているのです。

 つまり,デザイナーにはマクロな視点とミクロな視点が必要だということです。ただやみくもに刺しに行っても急所を外して相手を倒せないし,急所を発見できても,とどめを刺すパワフルな武器がなければ効果はありません。

 当時私はまだ若造デザイナーだったので,いわゆる「蜂」の部分は理解していました。いかにかっこいいデザインを作るか,新しいビジュアルを考えるかにとらわれ,美しい文字組みの広告を切り抜いてスクラップしたり,デザイナーの技術的な部分を鍛えることに一生懸命でした。

 しかし,やはりそこはデザイン会社に勤務するサラリーマン・デザイナー.。「蝶」の部分はピンと来ませんでした。クライアントから出される条件に従って制作する中では,“蝶のように舞う”時間も意識もあまりありません。私だけではなく,会社全体がそれで当たり前みたいなところもあったようです。

 蝶のように舞って問題に向き合うのが大切――ということがわかってきたのは,実は独立してからなのです。今でこそ,松永氏がおっしゃっていた言葉の意味が腹から理解できるのですが,そんなこともわからないで,よく独立なんかしたと,今になってはヒヤヒヤものです。

 前回紹介したスコッティのコンペにおいて松永氏は,「ティッシュの箱というのは,どの部屋にもあるくらい毎日目にする。ウサギ小屋と言われるような日本の狭い家の中で,花柄のティッシュ箱に主張されたくない。だから花柄は使わない」と言いました。その“気づき”は,ティッシュ・ボックスのあるべき姿をひらひらと考察して得られたのだと思います。そしてこのコンセプトをコンペで説得できたのも,すばらしく高いクオリティのロゴマークがあってこそだと思います。

 色や形を考えるのはデザイナーの仕事の一部分であって,もっと重要な部分は,実は問題を解決するアイデアや思想の部分にあるのです。アイデアを持っていれば,自分がデザインしなくても誰かセンスの良い人に形を考えてもらうことはいくらでもできるからです。

 これは,エンジニアの方も同じなのではないでしょうか。優れたプログラムを書けなくたって,書ける人に依頼すればいい。大切なのは,何を依頼すればいいのかをわかっていることだと思います。


ただ,ひらひらしていれば,ひらめくか,というとそんなに甘くはないですよね。勉強しているからこそ,答えを得られる。当たり前ですが,それがなかなか難しいんですよね。