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嶋正利のプロセッサ温故知新

私とマイクロプロセッサ(5)---家庭的だが明確な将来像を持っていた創立2年目のIntel

嶋 正利=ITpro Watcher 2006/06/30 ITpro

 私が4004マイクロプロセッサの開発で2回目に渡米した1970年ころの話である。Noyce,Moore,Groveら米Intelの幹部の人たちは,会社設立以来,毎週1回従業員と昼食を兼ねた話し合いを続けていた。忌憚のない意見があらゆる層から出てきて興味深い印象を受けた。

 当時,Intelはまだ創立2年目で,メモリーの半導体化という非常にはっきりした目標に向けて,シリコンゲートMOS技術を使ったメモリー製品の開発にまい進していた。会社創立に参加したすべての人々に自分たちの会社を発展させるという意気込みが非常に強く見られた。目標を持った会社がいかに強いかを目の当たりにして,大いに参考になった。

 このころのIntelは小さく家庭的で,皆でサンフランシスコまで「ヘアー(Hair)」などのミュージカルを観劇に行ったり,ピクニックに行ったり,和気あいあいと仕事をしていた。2度目の渡米ではまだ独身だったことや,借りたアパートがIntelのオフィスから比較的近かったことなどもあり,自動車やテレビのレンタル代は支給されなかった。すると,Noyce博士は親切にも,別荘にある奥さんのステーションワゴンを貸してくれるという。

 Noyce博士の別荘はサンフランシスコから130マイルほど北の海岸沿いにあるメンドシーノ(Mendocino)にあったので,近所の人の車に乗せてもらって取りに行った。ところが,メンドシーノへ向かう道には多くのワイナリーがある。何カ所かで1杯ずつ試飲していったら,着いたころには酔っ払って運転ができなくなっていた。

 会社でも,昼食になると週に1回くらい外へ出掛けて食事をしながらビールを飲んだりした。アメリカ人は酔ったそぶりも見せなかったが,私は酔っ払ってしまって午後1時間ほど仕事にならなかった。

 会社でピクニックに出かけたときのこと。クジを引けと言われたので引くと,幸運にもテレビが当たった。後で聞いてみると,あらかじめテレビを2台用意しておき,私が引いたクジは無条件に“当たり”となるように手はずを整えていたそうである。誰も文句を言わない出来レースであった。テレビを日本に持ち帰ったら,NHKの1チャネルが映らなくて視聴料を払わなくて済んだが,民放テレビ放送へのチャネル合わせに苦労した。

 当時,私はIntelの社員ではなかったが,Intel社内のどこでもフリーパスで出入りできた。このころIntelは,世界初の商用DRAM製品1103(1970年10月に発表)の開発に成功し,DRAMにおける電子の格納の理論と信頼性を研究する過程で生まれたPROM(Programmable ROM)の開発を進めていた。世界初のPROM製品である1702(1971年9月に製品化)の試作チップが出来上がると,技術部長であったLes Vadasz氏が実験室に誘ってくれて,PROMの動作を観察させてくれた。すごい製品を開発したものだと感心した。

 ただ,中学時代の火薬の爆発と,大学時代の実験中における爆発の記憶が残っていたせいか,どんなに誘われてもクリーン・ルームには入らなかった。Intelに正式に入社した後も,米国に滞在中はクリーン・ルームに2回しか入らなかった。

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