デザインは誰のためにするのか?

 もちろんクライアントのため,というのが当たり前のように思われますが,ちょっと違うと私は思っています。

クライアントの条件に逆らった,あるデザイナー

 あるティッシュペーパーの会社が,パッケージのデザインを刷新するために,グラフィックデザイナーに,国際コンペを行ったことがあります。「花柄を用いる」ことと「決められているロゴを使用する」という条件を出し,皆,様々な花柄のデザインを考えて提出しました。

 その中で,ある一人のデザイナーは,花柄を使わず,ストライプを敷き詰め,さらには指定されていたロゴのデザインも新しく変えてしまい,コンペに出してきたのです。彼は「ティッシュの箱というのは,どの部屋にもあるくらい毎日目にするものだから,ウサギ小屋と言われるような日本の狭い家の中で,花柄のティッシュ箱に主張されたくない。箱は真っ白でいい。だから花柄を使わない」とコメントしました。

 そうすると今度はロゴが目立ってきて,そのロゴのデザインのクオリティが低くて気に入らない。それで頼まれもしないのに,時間をかけてロゴのデザインも新しく考えたというのです。クライアントへのプレゼンテーションではこのようなコンセプトを説明し,条件に関しては「ハナが植物のこととは思わなかった。ハナ,とは華のある,という意味と私は解釈した。このデザインには,誰もがティシュはこうあってほしい,という華がある」と世阿弥のような回答をしました。シンプルなストライプを指して,「このストライプは,現代の花柄です」とも言ったそうです。

 結局,この作品がコンペに勝ちました。これが後に数々のデザイン賞を獲得した「スコッティ」のパッケージ・デザインです。

 これをデザインした松永真氏は,「ルールは守るべきだが,確信できる改良案が出れば,意味のないルールは破ってもいいのではないか。モノの理念や意味を考えるという普通のことを忘れて,技巧に走るのは根本を履き違えている。わき役であるティシュに,わきまえる,というインパクトを持たせることができたと思う」と後日,講演会で語っています。

 この話は,グラフィックデザインの世界では有名な逸話なのですが,実は,私はこの話を,十数年前に直接松永氏本人から伺ったことがあります。こっそり仕事を抜け出して氏の個展を見に行ったら,会場にいらっしゃったのです。まだ20代の若造デザイナーだった私を相手に,話すこと1時間。話があふれて止まらないのです。味の素の「マリーム」のボトルデザインは,社長に「店頭で目立つデザインにしてくれ」と言われたけれども,家庭で使うときには,なるべく主張するべきではないと考え,背丈の低いデザインをして,社長と喧嘩して戦った話とか,いろいろなお話を伺うことができました。

 そのときまでは,クライアント様々で,お客様の言われることが絶対だと信じて疑わなかった私ですが,「でも,待てよ。クライアントが利潤オンリーの考えを持っていたり,的外れのことを信じていたり,古くさい感覚に気づいていないような場合は(結構あるのです!),いったい誰が『もしかしたら違うんじゃあないでしょうか』と提言してあげられるのだろう。おそらくデザイナーにもその役目があるのかもしれない」と思うようになりました。それから,(クライアントの要望にお応えするのは当然ですが)他にもっといい方法やアイデアがあるのではないかと考えるようになったのです。

モノの理念や意味にあったデザインを

 いったい誰のために,何のためにデザインをしているのだろうと考えたときに,松永氏が言うように「モノの理念や意味を考えるという普通のこと」をないがしろにしてはいけません。「ティッシュの箱は,生活する人間のために,おとなしくわきまえたデザインにするべき」という普通のことをいかにクライアントに説得できるか。そしてそれを実現するためのデザイン,形,色とは何なのかをどこまで追求できるか。デザイナーは,まさにそのためにデザインをしているのでないでしょうか。

 私は,クライアントのためという以上に,隣のおばちゃん,お姉ちゃん,おじいちゃんたちの幸せのためにデザインをしていくべきだと思うのです。そのことが,つまりはクライアントにとっても利益につながるのではないでしょうか。

 エンジニアの方たちは,いったい誰のために,何のためにお仕事をしているのでしょう? この問いは,あらゆる職業において,じっくり考えてみるべきかもしれません。


クライアントを説得できなければ,ただの条件違反です。説得力のあるアイデアや造形美,つまり「実力」が伴わないと相手にされませんよね。しかし,それをやるのがプロだと思うのです。プロの道はきびしい!