富士通の黒川社長が東京証券取引所の一連のトラブルに関して、「契約内容を超えた負担には応じられない」と言い切ったそうである。当然の発言であり、もっと早く言ってもよかった。東証のシステムトラブルについては、発生当時、私もいろいろと意見を述べた。いま改めて考えてみるに、あの一連のトラブルはITベンダーとユーザー企業との“取引の近代化”に大きく貢献したといえるかもしれない。

 東証の当時の社長やCIOが責任を取って退任し、新体制が発足して久しい今、東証の対応を今さらあげつらうつもりはない。ただ、11月のシステムダウンの際、事故当日の記者会見で東証の出席者の「損害賠償も辞さない」と発言したのを聞いた時、心が冷える思いがしたのを思い出す。その日は、ある大手ITサービス会社の人と話したが、彼の感想も「あれじゃ、富士通さんもたまらないだろうな」だった。

 原因が分からない段階で損害賠償を口にするのは、無茶苦茶である。そんな発言が出てくるのは、単に責任逃れというだけでなく、「我々は客だから悪くはない。悪いのは業者に決まっている」という意識があったからだろう。どうもユーザー企業の情報システム部門やマスコミの間には“ITベンダー悪玉論”が根強く、ユーザー側の落ち度を棚に上げてベンダーの非を鳴らすマスコミの論調が以前は目立った。損害賠償うんぬんは、そうした“文化的背景”から出た発言だろうと思う。

 で、実際はどうだったかと言うと、東証の富士通非難はその後、一気にトーンダウンした。確かに富士通のミスは明白だったが、同時にそのミスをリカバリーできない東証側のシステム運用体制の拙さも明らかになってきたからだ。他のシステムトラブルなら富士通がボコボコにされて終わったかもしれない。しかし、東証のシステムは巨大な社会インフラである。事が重大で、真相解明が進んだのは幸いだった。

 また12月のみずほ証券の誤発注騒動では、何を作ってほしいか、何をしてほしいかを明確化するのはユーザー企業の責任であるということが、これを機に世間に周知した。つまり、要件定義はユーザー企業の仕事であり、ITベンダーが代行したとしても、その責任はユーザー企業にあるということだ。

 みずほ証券のトラブルで言えば、要件定義書やシステム仕様書に記述がなければ、富士通が誤発注を取り消すコードを書かなくても、法律上は富士通に全く責任はない。たとえ富士通のSEがシステム仕様書を作成したとしても、東証が正式な手順でOKを出しているなら、東証が“提示”したシステム仕様書通りに、富士通がシステムを作っている限り、富士通には賠償責任は発生しない。

 ユーザー企業にとって理不尽に聞こえるが、極めて常識的な話だ。仕様書も用意せず特注品を発注することは、他の産業では考えにくい。ユーザー企業には何を作ってほしいのかを明確に示す責任がある。たとえITベンダーに要件定義書やシステム仕様書を作成してもらったとしても、それを承認し、それを基に発注するのはユーザー企業である。「信頼できるベンダーにお任せする」という発想は、聞こえは良いが間違いだ。

 もう1つ、一連のトラブルを通じて、厳密な契約の必要性も認識させられた。一般に、システム開発などでは契約が極めて曖昧だ。あるユーザー企業のCIOは着任したとき、それまでにITベンダーとの間で取り交わした契約書を読んで、「こんなもの、契約書でない」と絶句したという。様々なケースを想定した責任分解点の取り決めなどが全く記述されていなかったからだ。

 東証と富士通との契約は、さすがにそこまで杜撰ではないだろうが、一連のトラブルとその後の処理の迷走を見るに、両者の責任範囲の取り決めなどにファジーな点があったのだろうなと推測する。

 いま、リスク排除、内部統制の強化などの観点から業務プロセスの“見える化”が大流行だが、システムトラブルを防ぐためにはITベンダーとユーザー企業の業務プロセスのインタフェースである契約の“見える化”も非常に重要である。契約書をはじめ、要件定義書やシステム仕様書など両者で共有する文書を厳密なものにして、それをベースに協業し、それぞれの責任を果たす。そんな取引関係の必要性が、一連のトラブルで明らかに明確になったと思う。

 もちろん、なぜ“バカよけのロジック”が抜け落ちたのかとか、なぜITの失敗を人間系のプロセスでカバーできなかったのかとか、東証のトラブルで明らかになった課題は他にもいろいろある。ただ、ITベンダーだけでなくユーザー企業の意識変革のきっかけとなり、ITサービスというビジネスの近代化に資することになれば、今回のトラブルもそれなりに意味があったといえるだろう。


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