趣味でPCを自作する者にとって、「静音PC」と聞くと、「水冷PC」や「ファンレスPC」などを想像してしまう。ドライヤーのような風切り音を立てる近時の高性能グラフィックボードは、静音化の大敵となる。しかし、ここで述べるのは、そうした意味の「静音PC」ではない。一般的なPCの、キーボードの「打鍵音」に関する話である。

 私は毎週、或る大学の法科大学院で教えている。司法試験を受けて裁判官や弁護士などになることを目指す学生のための大学院である。以下の話は、そこで起こった出来事である。

 最近では大学も「顧客満足度」を重視しているのか、学生から講義に関するアンケートを取るところが増えている。ご多分にもれず、私の講義でも、学生からのアンケートの集計結果が、匿名扱いで大学側から返ってきた。

 そのなかに「他の学生が持ち込んでいるノートPCのキーボード音が、授業中、耳障りで仕方がない。」という意見が複数混じっていた。

 たしかに大人数の学生を相手にする法学部の講義と違って、もともと法科大学院は、全体でも少人数にすぎない。そのため講義も、せいぜい数十人程度が相手となる程度だ。広い講義室で行う学部の場合と比べれば、部屋も決して広いとはいえない。

 実際にPCを講義室に持ち込んでいる学生は複数いる。だが、このように狭い部屋とはいえ、少し離れた教壇から聞くと、今回の指摘を受けるまで「音が気になる。」というほどには感じなかった。持ち込んでいる学生も、他人に迷惑を掛けないよう気配りして、できる限り静かに使用しているようだ。

 しかし、そうであっても、司法試験に向けて真剣に勉強に励んでいるという立場からすれば、どうしても音が気になる人が居ることは十分に理解できる。実際に他の先生方に相談してみると、こうした種類の苦情は結構多いようだ。

 とはいえ、これは法科大学院だけの特殊事情に基づく問題といえるのか。考えてみた結果、別の場所でも同じような問題があることを思い出した。そのひとつが新幹線の車内におけるキーボード音の問題である。

 私は毎週のように、仕事のために大阪と東京を新幹線で往復している。数年前なら車内で問題になる不快音といえば、携帯電話の着メロだった。最近では、車内におけるマナーモードへの切り替えが常識となり、よほどの不心得者でない限り、大音量で耳障りな着メロを車内で流す人も少なくなっている。

 それに取って代わるように、最近では車内でカチャカチャとPCのキーボードを叩く音に対し、イヤな顔をする人が増えている。真横や真後ろの座席で絶え間なくカチャカチャと打たれると、「せっかく休息を取ろうとしているのに困る。」と感じる人もいるようだ。正直なところ、仕事人間を自称する私にとって、こうした指摘はつらいところだが・・・・。

 デスクトップPCと違って、人前に持ち出すことを前提としたノートPCであるがゆえに、生じてしまう問題なのかもしれない。それに、誰もがPCユーザーとは限らない。

 その一方で、PCを愛用する者にとって、毎日手に触れるキーボードは重要な存在である。配列やキータッチだけでなく、打鍵音についても個人的なこだわりがある人は多い。かつてはメカニカルキーボード嗜好派が勢力を誇った時期もあった。今でも典型的なメカニカル特有の“カチカチ”という硬質音が好きだという人は少なくない。

 これに対し、ノートPCの大半にはメンブレンキーボードが使われている。メカニカルキーボードと違って、打鍵音は比較的小さいし、かん高いわけでもない。だが、勢いに乗ってキーボードを叩き続けていると、意外に打鍵音が大きいことに気がつく。

 考えてみれば、病院の入院病棟のように静けさが求められるため、キーボード音が支障になるケースは、他にも少なくないはずだ。また、私を含めて “ウサギ小屋”のような家で暮らしている多くの日本人にとって、夜中に狭い自宅で打つキーボード音が、--デスクトップPCか、ノートPCかを問わず--家人など周囲の迷惑になっていないか、気になるところだ。

 それくらい我慢して当然かどうか、これを過剰反応というかどうか、それとも他人に対する配慮が足りないと考えるか、それぞれ人によって意見が分かれるところだろう。しかし、その点はともかくとしても、もっとキーボードが静音仕様であるなら、こうした悩みが確実に低減することも事実のはずだ。迷惑を掛けることをおそれて、委縮しなければならない必要性も薄れる。

 そのため、これを機会に、「静音キーボード」が付いたノートPCや単体キーボードが販売されていないか、探そうとしたが、どうしても見つからない。「ファンレス」による静音を謳ったノートPCなら、すでに売られているにもかかわらず・・・・。

 ウィンテル仕様で一色のため、PCの製品差別化を図ることが難しい状態が続いている現在、迷える子羊たちを救うために、「静音仕様のキーボード」を売り物にしたPCを発売してくれるベンダは、何とか近いうちに現れないものだろうか。