「M&A案件が多数持ち込まれるが、話を聞いてみると、どれもこれも当社を売ってくれという話ばかり」。これは確か日本ユニシスの籾井社長の弁だったと思うが、いまITサービス業界はこんなM&A狂想曲の渦中にある。証券会社や銀行のインベストメントバンク部門あたりが、M&A案件を作るべくITサービス会社の間を走り回っているという。しかし、なかなか大型案件は成立しない。誰も買われる方になりたくないからだ。

 M&Aを通じた業界再編の必要性は、ITデフレが深刻化した数年前から盛んに喧伝されてきた。料金の下落が止まらないのは、プライム契約を狙うITサービス会社が多すぎるからであり、ユーザーとの力関係を改善するために、プライム企業(元請け会社)の集約は不可欠。そんな理屈からだ。そして「A社とB社がまず合併して規模を大きくし、その後C社と対等合併する」といった、かなり生々しい“酒呑み話”が噂されもした。将来展望が開けず、身売り先を探し回った経営者も結構いたと聞く。

 だが、結局は大きな再編は起らなかった。自社の経営の効率化やビジネスモデルの転換が緊急の経営課題であり、今から言えば、とてもM&Aどころではなかった(もちろん、システム子会社を買いまくったNTTデータなどの例外はあったが)。現実問題として、NTTデータを別格にして売上1000億~3000億円の中に30社もひしめく現状では、多少のM&Aがあったとしても、ユーザー企業との力関係の改善も望めなかっただろう。

 で、業況が大きく改善した今、ITサービス業界のM&A熱が本格化してきたようだ。私はこの前、「業況が改善しても事業規模を拡大しないITサービス会社の決意とは」という一文を書いた。その内容からすると、M&A熱の本格化は正反対の話になってしまう。ただ、大手ITサービス会社はほとんどが上場企業であるため、「規模を拡大するリスク」は分かっていても、やはり規模を追わなければならない事情がある。

 というのもITデフレの頃は、株主や投資家の関心事は経営の安定性や健全性、そして収益性だった。いかに赤字プロジェクト案件を減らし、利益率を高めていくか、ITサービス会社の経営者はそれを株主や投資家に示す必要があった。しかし局面が変わると、株主や投資家はそれでは満足しなくなる。今度は、事業規模の拡大、成長性を示さなければならない。

 特に、売上1000億~3000億円という“中途半端な企業”には、そのプレッシャーが大きい。この規模の企業は強みに特化するには大きすぎ、“ゼネコン”としては小さすぎる。では、どれくらいの規模を目標にするのかと言うと、よく5000億円という数字が上がる。なんのことはない、NTTデータの売上規模の半分よりは多い額という意味だ。これだけの規模があれば、メーカー4社とNTTデータの“ビッグ5”に伍して、なんとか大手ユーザー相手の大きな商売ができるのでは、と見る向きは多い。

 ただ、既存のITサービス業は産業としては頭打ちだ。「ユビキタスなんとか」とか「Web2.0時代の新たな産業」とかいった新領域に事業ドメインを広げる気がなければ(こちらが本筋だと思うのだが)、企業の成長のためには限られたパイを奪い合うしかない。しかも、ITサービス業の事業規模は人材の頭数に規定される。若者にITサービス業が不人気で、優秀な人材の流入が細っている現状では、単独で大きな成長を望むのは難しい。

 そうすると、どうしても規模拡大にはM&Aが必要ということになる。ところが、誰も会社を売る方にはなりたくない。「御社を売りませんか」と言われてムッとしている経営者が、他のITサービス会社の経営者に買収を持ち掛けているのだから、そりゃ無理である。かくして、いつまで経っても大型のM&Aは成立しない。

 というわけで、ITサービス業界では今、「コップの中のM&A」が大流行している。例えば、最近合併を発表した伊藤忠テクノサイエンスとCRCソリューションズのような身内同士の再編である。親会社を同じくする身内同士の経営統合は、他人同士以上に難しい場合もあるが、トップ同士に信頼関係があり、親会社の意向もあれば、なんとか成立する。

 さて、この先、大型のM&Aが成立するのだろうか。これは正直、分からないよね。ただ、ビッグ5に伍す企業を目指すといっても、トヨタ自動車の連結売上高の半分程度という小さなITサービス市場だ。大手は5社もあれば事足りるのではとさえ思う。メーカー色のない大手が必要といっても、NTTデータに加えて、せいぜいあと1社で十分かもしれない。また、受託ソフト開発が中心のシステム・インテグレータなら、それこそ安易な合併は「規模拡大のリスク」に直面する。

 コモディティ化する市場にあっては、M&Aによる規模拡大とライバル消去という方向は確かに本筋だが、他にも道はいくらでもある。例えば、いくつかの企業が試みているように、持ち株会社なんかを使って、事業を細分化し“ニッチ企業の集合体”にする方向だってある。また、事業ドメインを既存のITサービス業以外にも広げるのも有力な選択肢だ。同業者同士で「会社を売れ」「お前こそ売れ」とヒートアップする前に、冷静に考えるべきことは山のようにある。