前回、「返報性の法則」と「認知的不協和」という概念について解説しました。「返報性の法則」とは「人は他人から報酬・メリットを受けると、何とかその人にお返しをしないと済まない感情に支配される」という法則です。「認知的不協和」とは「ある好ましくない状態を『認知』した際の不安、気持ちの悪い、落ち着かない状態」のことで,人は「認知的不協和」に陥ると、その「不協和状態」を「協和」状態にしようと行動します。

 今回は実際の事例を通して「返報性の法則」と「認知的不協和」をヒューマンマネジメントに応用する方法を解説します。

実際の現場で、これらの理論はどう応用されるか

 A社は中堅の特殊製品メーカーです。創業以来、全国展開する販社のB社だけを通じて販売活動を行っていました。

 しかし、市場の飽和や顧客嗜好の多様化もあり、次第に業績が伸び悩むようになりました。そこで、A社では新たな販売チャネル(経路)として全国規模で通信販売を手がけるC社に提携を提案することになったのです。

 しかし、A社はこれまで販社を通じた商品販売の経験しかなく、通信販売でどのようなマーケティング、事務、システムが必要なのかが分かりませんでした。

 そこで、C社の要求条件にしたがい、事務やシステムを考えることが必要になり、A社の企画部門の遠山(仮名)がプロジェクトの検討責任者になりました。システム関係のリーダには情報システム部の後藤(仮名)を指名しました。

 後藤は優秀な人材と評判であったのですが、この検討はなかなか進みませんでした。後藤から事情を聞くと、「事務部門が検討を進めてくれない。しかし何とかする」ということでした。遠山は、しばらくは彼の責任でやらせようと思い、様子を見ることにしました。

 しかし、事態は、よくはならず、後藤の悪い評判が遠山の耳に入るようになりました。後藤が事務部門やシステム部門の担当者を怒鳴り散らし、担当者のモチベーションを下げているという話でした。

 そこで、遠山は正確な状況を把握するため後藤に話を聞くことにしたのです。

遠山:後藤、状況はどうだ。事務部門にはどういう働きかけをしている?
後藤:遠山さん、事務部門は何度言っても考えない。自分達の考えることではないと思っているんでしょう。厳しく言っているんですが。この前は怒鳴りましたよ。次には必ず考えろって。
遠山:そうか。では、次にはC社用の事務手順がでてくるのだな?
後藤:でてくると思いますが。
遠山:出なかったらどうする?
後藤:もっときつく言います。出てくるまで言います。
遠山:もういい・・・お前のやり方では一生進まない。俺が直接やるからサブで動いてくれ。
後藤:どうしてですか?何で私が駄目なんですか?やらないのは事務部門です。悪いのは私ではありません。
遠山:それが駄目なんだよ。お前は検討が進まないのは他人の責任で、自分の責任じゃないと思っているだろう。リーダのお前がそんな考えだから検討が進まないんだよ。
後藤:どういうことですか?
遠山:なあ後藤、お前は今回の検討で事務部門の担当者の気持ちを考えたことがあるか?
後藤:それは・・・
遠山:彼らは相当困惑しているはずだよ。当社には創業以来、B社向けの事務しかなかった。事務部門では新しい事務検討をした経験がないんだよ。さらにまったく経験がないチャネル用の事務だ。彼らはどうしてよいか分からないのだと思う。そういう不安のなかでお前がきつくいったら彼らは反発するだけだ。何かにつけてお前を悪者にして責任逃れをするだろうよ。
後藤:そんな・・・
遠山:当然、彼らに悪気はない。しかし、人間は追い詰められると最後に責任の押し付け合いをする。そうやってプロジェクトは破綻していく。俺はそういうことをたくさん見てきたんだ・・・そうしないために、お前はもっと感情をコントロールしなくてならないんだ。
後藤:感情をコントロールする?
遠山:そうだ。今回で事務部門が検討をしなければならないのはお前の言うとおりだ。でも、検討させるためには別のアプローチが必要だ。お前は彼らに怒鳴ってはいけない。怒鳴るのではなく、彼らの仕事を積極的に手伝うんだ。彼らが気持ち悪く思うくらい、彼らのために働くんだ。(1)
後藤:でも、それでは彼らがますます動かなくなるのではないでしょうか?
遠山:違うんだ。彼らは検討が遅れているのは自分達の責任だと自覚していると思う。これは「心のしこり」という負の感情(2)だ。心理学的な解釈では人間は負の感情を解消するために行動する(3)。しかし、お前が怒ることで彼らの負の感情がなくなる。つまり「すまない」と思う気持ちが、お前の怒りで解消されてしまう(4)んだ。本当に検討を進めたいなら、お前が手伝うことで彼らの負の感情を最大限に高めればよい。そうすれば、彼らはどうしても検討を進ませなくてはならない気持ちになる(5)はずだ・・・

この事例は、私がこれまでプロジェクトを率いてきた中で実際に起った事例をもとにしています。実際に、私(事例の中では後藤)は、遠山の言うとおり、現場に協力し、一生懸命手伝うようにしました。すると、現場が急激に変わっていくのが分かりました。これは、非常に不思議な現象でした。

 一度壊れたプロジェクトを元通りにするのは難しいのですが、少なくとも最悪の状態(中止)にならずになんとか完成させました。後から、いろいろとマネジメントサイエンスを学ぶなかで、あのときの会話の意味を解釈していきました。

 事例のアンダーライン(1)が返報性の法則のことです。そして、「負の感情」と遠山が言っている(2)が、認知的不協和状態、(3)が「不協和を低減させる行動」です。

 しかし、(4)の通り、PMが怒鳴ると「悪意の返報性」が増幅し、PMが悪いという感情で自分を満足させようとします。(「タバコのケースの医者が悪いという話と同じ)

 そこで、重要なのは、ひたすら認知的不協和状態を高め、相手が「自分たちが自分の責任で行動して問題を解決する」という「不協和を低減させる行動」にリードしなくてはならないのです。

 このような地道なヒューマンコントロールを積み重ねることで、プロジェクトを成功させる確率を高めることが重要だといえるでしょう。

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