数日前,松下電器産業の特許保有件数が,来年度中にも10万件の大台に達し,世界トップクラスになるとの報道がなされた。

松下電器、来年度中にも保有特許10万件に(2006年05月14日 読売新聞)

 正確には,松下グループの今年3月末の特許保有件数(研究開発体制が異なる日本ビクターなどをのぞく)は9万4484件。特許の純増数はここ数年,年4000~5000件で推移しており,このペースが続くと2007年度中に10万件に届くということらしい。

 そこで,今日は企業の保有する特許件数と企業の競争力について考えてみよう。

保特許有件数の増加とは

 まず,保特許有件数が増えるというのはどういうことであろうか。

 特許権は取得したとしても無限に存続するものではない。法定の存続期間は特許出願日から20年と定められている上に,多くの企業は定期的に特許資産の棚卸しを行うことによって,既に陳腐化した技術や,事業を断念した技術にかかる保有特許を捨てているからである。

 一件あたりの特許維持コストは平均して年間10万円程度であることを考えると,特許資産の棚卸しはコスト管理上重要である。例えば,10万件の特許を保有している松下は,特許維持コストだけで年間100億円のコストを支払っていることになる。そのような特許維持コストよりも棚卸しコストが安ければ,当然,要らないものについてはその都度捨てるということに合理性がある。

 企業の保有特許が,このような背景により,年々自然死(存続期間満了)や棚卸しにより消滅していく中で,保有特許件数が10万件に達するためには,例えば,年間5000件の特許が死んでいくなかで毎年新たに9000件の特許を生み出してようやく年間4000件の純増,これを25年間継続しなければならないということになる。

 このことは,とりもなおさず松下が特許に対して強い意識を持ち,それに莫大な投資していることを意味しているが,それだけではない。いくらコストをかけてたくさんの特許出願をしても,質が伴わなければ特許として成立しないからである。

 既に世の中に公に知られた発明は特許にならない。年間4000件純増を実現するためには,「人類初」の技術が松下の中で継続的に生み出されていることをも同時に意味しているのであって,保有件数10万件という結果は,絶え間のないR&D戦略の策定とそれに向けた投資,その結果としての「知」を知財に加工する戦略とマネージメントの融合のみが生み出しうる数字なのであるということを認識すべきである。

 ちなみに,松下の同業他社の保有件数はどの程度であろうか。筆者が日本を代表する特許データベースである野村総合研究所のサイバーパテントデスクで簡易調査した結果 は以下のとおりである(ただし,日本特許に限る。)

企業特許保有件数R&D投資(年間)保有特許あたり投資額
松下電器産業446522784億円623万円
キヤノン274052865億円1045万円
ソニー162265318億円3277万円
NEC278853500億円1255万円

 このような件数のみの比較はともすれば,規模の大きな企業は,R&D投資額も大きいので,特許件数も多いという単純な傾向を示すだけかもしれない。そこで,筆者はこれらの企業のR&D投資額を保有特許件数で除してみた。

 この[R&D投資(年額)]/[保有特許件数](仮に「保有特許あたり投資額」と呼ぶ)という数値は,特許1件を取得,維持するためにどの程度のR&D投資が行われているかということを意味する。

 驚くべきことに,同じIT業界企業でもずいぶんと差があることが判明した。例えば,松下の保有特許あたり投資額は623万円なのに対し,キャノンとNECはそれぞれその倍の1045万円,1255万円,ソニーに至っては松下の5倍強の3277万円となっている。

 R&Dが適切な研究開発テーマに対して行われ,これを資産化するために適切な数の特許出願がなされているかどうかどうか,ということに対する分析が保有特許あたり投資額を割り出すことによって分析可能である。

 例えば,開発投資額にかかわらず特許保有件数が上昇しない場合,保有特許あたり投資額が高くなるが,その理由は,(1)適切な研究開発テーマが選択されていない(他社の後追いとなっている)ので特許を取得できない,(2)開発投資はされているが適切な知財化活動がなされていない,の二つが考えられる。

 (1),(2)のいずれかであるかは,その企業の特許査定率(出願件数のうちどの程度の比率で特許化に成功しているかどうか)を分析することによって判断可能であり,特許査定率が低い場合は(1),高い場合は(2)の原因によるものと推測できる。

 ソニー,NEC,松下の比較では,保有特許あたり投資額は松下が最も低いので,同社が効率的な特許戦略(R&D成果を効率的に特許化している)という解釈も考えられる。他方,ソニーはIT関連企業の中では群を抜いて保有特許あたり投資額が高いが,これは同社の特許戦略の遅れというよりも,特許に頼らざる分野(コンテンツ・オンラインゲームなど)に対するR&D投資が多いから,見かけ上,保有特許あたり投資額が上昇しているとも考えられ,いずれの企業の知財戦略が進んでいるかを決するにはもう少し多くの情報が必要である。

以下のようなデータもある。

企業特許保有件数R&D投資(年間)保有特許あたり投資額
武田薬品工業6091696億2億7849万円

 日本における製薬のトップ企業である武田薬品工業の保有特許あたり投資額は,IT業界の各企業と比べてけた違いに大きいのである。

 これは,武田薬品の特許戦略の怠慢を意味するものではない。武田薬品のような製薬企業の場合,一つの基本特許(特定の薬効を有する新規物質にかかる特許であることが多い)によりその新薬に関するマーケットを完全に押さえることが可能であるのに対し,松下やNECのようなIT企業の場合,一つの製品に複数の特許が用いられている。そのため当該マーケットを一つの基本特許で押さえることはほぼ不可能であるから(例えば,松下が力を入れているPDPには,構造特許,製法特許,回路に関する特許その他に関し数千件もの特許が含まれているはずである),IT企業の場合,必然的に取得すべき特許件数は多くなるというセオリを如実に表すものと考えられる。

 このことは,各企業の連結売上と保有特許件数の比を計算してみればより鮮明である。IT業界を代表するNECと,武田薬品について保有特許一件あたりの売上である[連結売上]/[保有特許件数(国内)](仮に「保有特許あたり連結売上」と呼ぶ)を計算してみると,松下1億9900万円,NEC1億7600万円,キヤノン1億3600万円に比べて,武田薬品は19億9000万円となる。

 つまり,製薬業界の方が一つの特許で確保できる売上は格段に大きい。ゆえに,製薬業界では必然的に特許件数が少なくて済み,IT業界においては数多くの特許を取得する必要があるために,特許に対する投資も膨大となる。

 ちなみに,IT企業に分類されるソニーの保有特許あたり連結売上は4億6100万円であり,1億円台にとどまる他のIT企業から突出している。これは,ソニーが特許に頼らざるを得ないIT分野のみならず,特許に頼る必要のないコンテンツや金融など多くの分野から収益を上げている企業であることを示唆するものであると思われる。