私は,1967年に東北大学理学部を卒業してビジコンに入社した。専攻は有機化学であったが,化学業界は不況の時代に入っていたため,化学ではなく電卓と電子計算機を扱っていたビジコンに入ってプログラマの職に就いたのである。

 当時,大学の研究室ではまだモーターで動作する四則演算が可能な「電動」計算器が稼働していた。私もヒノキチオールのような7員環の核であるトロポロンの反応速度に関する研究で,米Monroe Calculating Machineの電動計算器を利用していた。

 ちょうどそのころ,電子で動作する電子計算機が東京大学に導入され,コンピュータを使って有機化合物の構造を決定する技術が確立されつつあった。同室の修士学生が東京大学に行き,電子計算機について学んできたのもこのころだ。中学時代からアマチュア無線をしていたせいか,電子で動作するコンピュータそのものに興味がわき,大いに刺激を受けた。

 入社後の,三菱電機の電子計算機MELCOM 3100を使用したアセンブラ,COBOL,FORTRANなどのプログラミング言語の教育は,知的興奮をよび,大変に楽しく面白かった。ところが,教育が終了していざ本番になると,アプリケーションの大半は経理など興味がわかないものばかりだった。そこで無理を言って,半年後の10月に大阪の茨木にある電卓開発部門へ転属させてもらった。しかし,転属までの1カ月間,コンピュータの販売部門での営業を義務づけられた。

 大学で電気を勉強しなかった私は,転属前に,高橋茂著「ディジタル電子計算機」(日刊工業新聞社発行),宇田川!)久著「論理数学とディジタル回路:オートマトン入門」(朝倉書店発行),森竜雄著「PERT: Program Evaluation & Review Technique」(日本能率協会発行)の3冊の本を,ノートをとりつつ無我夢中で読んだ。大学における研究を通して身に付いた「初めに方法論ありき」「手を抜くな」「逆算して計画しろ」などの教訓とともに,この3冊が私の一生の宝となり技術の基本となった。

 電卓部門に転属すると,いきなり電卓の試作を命じられた。また,電磁気学,トランジスタ回路,表示回路,電源回路などの本を買って勉強しなければならなかった。どんな本を購入すればよいか分からなかったので,専門分野の本は3冊買った。全体が見渡せる入門書,何度読んでも分からない難しい本,大学の授業で使うような本,である。ざっと3冊読めば本質がつかめた。

 しかし実務に入ると,コネクタ間の配線であるハーネスや配線情報を指示する布線表,両面基板など,電卓の試作に関する見当もつかない用語が次から次と登場した。高卒で入社した技術者と2人の作業員を,使うというより手伝ってもらい,分かったような顔をして,電卓の試作を完成させた。この技術者の方には本当によく助けてもらった。配線作業と配線検証のための布線表作成,試作,部下への指示,そして電卓の両面基板設計,論理設計,回路設計を手伝ったことは,4004開発への貴重な経験となり布石となった。