ある会合でのことです。パネリストとして登場されたラグビーの平尾誠二さんは、たくさんの質問ややりとりがあるにも関わらず一度もメモをとられる様子がありません(前回を参照)。その理由を参加者から尋ねられた平尾さんのお答えは次のようなものでした。

 学生時代からのラグビー経験のなかで、運動場に立ったままで監督から何時間も話を聞くことが多かった。ポイントを理解していないと再び長いお説教が。そこで、重要なことをその場で識別してイメージをつかむ習慣がついたとのことでした。それをお聞きして「なるほど」と思いあたることがありました。実は平尾さんは、イメージやコツといった曖昧な事柄を、言語化して伝えるのがお上手であることでも有名なのです。見切りと仕切り、チームリーダー・ゲームリーダー・イメージリーダーなど、どこかでお聞きになった方もおられるかと思います。(詳細は別の機会に)

 さて突然ですが、自転車の乗り方を言葉で伝えるとしたら、あなたはどのように表現しますか?自転車に限らず、何かの達人といわれる腕前のひとでも、そのコツをうまく伝えられるとは限りませんよね。師弟関係なら、見て盗めなどというのかもしれませんが。平尾さんは、言葉を通じて自分のイメージや意図を理解してもらう訓練を、必要に迫られて続けてきたとのことです。勝つために仲間にもうまく動いてほしい一心から、練習や試合で動き回っている最中でもイメージをパっとつかんでもらえるように、どう表現すればよいかと常に考えてきたのだそうです。

 ITプロフェッショナルの場合にも、例えば顧客企業の潜在ニーズを掘り起こすプロセスやキーパーソンのコミットメントを取りつけるような場面でのコツとなると、わかりやすく伝えるのは、容易ではなさそうですよね。でも、これをうまくできる人がいれば、またそれが皆に共有され、多くのひとのコンピテンシーにまでなるとすれば、組織としても大きな強みとなりそうです。

大事な暗黙知。暗黙知を形式知に。

 「コツ」のように、個々の体験に根ざした行動の仕方、ものの見方、信念のような言葉で表しにくい主観的・実務的な知識を「暗黙知」といい、文法にのっとった文章、数学的表現、技術仕様のような形式言語で表せる客観的・理論的な知識を「形式知」といいますよね。この暗黙知と形式知の相互作用から知識が創造される過程を、一橋大学の野中郁次郎さんらが図のように示されています。(SECIモデル。野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』など)

「暗黙知」と「形式知」。野中郁次郎・竹内弘高 『知識創造企業』 P.93 より「暗黙知」と「形式知」。図1に筆者が加筆

 例えば…(1)<共同化>エンドユーザーへのヒアリングの達人といわれる人の傍で、その様子をみていると、大きくうなずきながら話を聞いているようなので、自分もうなずくことにしたが、それ以上のことはよくわからない。

 (2)<表出化>達人にコツを尋ねると、「一番重要な作業とその理由は何ですかと質問することにしている」と具体的に答えてくれた。

 (3)<連結化>別の達人にも尋ねてみると、また別のコツを聞かせてくれた。そこで、「ヒアリングのコツ集」を作って社内のデータベースに載せると、更に新たなコツも書き加えられた。

 (4)<内面化>「コツ集」を読んだからといって、すぐに達人になれるわけではないが、ぎこちなくても繰り返しているうちに、今では無意識にコツ集にあったようなヒアリングをするようになった…こんな感じでしょうか。

 平尾さんがお上手な「言語化」というのは、比喩や例え話などをうまく使いながら暗黙知を形式知に変える作業で、図の「表出化」にあたり、4つのフェーズのなかでも重視される部分です。ITが得意とするのは(単純には)、形式知になってからの「連結化」のところですが、暗黙知のままでは扱いにくいですよね。ですから、言葉でうまく表現するということが、ことのほか重要なのだと思います。

 また、「マニュアルどおりに」といわれると堅苦しく感じることもありますが、それが「コツ集」として先人や達人のやり方を形式知化したものだと思うとありがたいことです。そして、このプロセスを経た人たちにはコツが「内面化」されて、自然とそのように行動するようになり、それが集団や組織の価値観や文化、強みになっていくのでしょう。こんなふうにして、暗黙知と形式知の相互作用がスパイラルに続きながら、イノベーションが起きていくわけですね。

 先日、経済産業省の方からITスキル標準の改定についてお聞きする機会があったのですが、「見える化を重視しました」と説明された後に「でも、コンピテンシーは可視化が難しいのでカバーしていません」とのお話がありました(それは各社ごとにとのこと)。目に見えないところにこそ大事なものがあるとわたくしは考えています。コツや考え方を言葉にするのは容易ではありませんが、あきらめずに身近なところから、対話を通じた言語化、つまり「暗黙知」→「形式知」をしていけるといいなと思います。試しに、ご自身の仕事の仕方の「肝」について、その仕事をあまり知らない誰かに話してみられてはいかがでしょう。パッとわかってもらえるように工夫をして。

それでは、今日もイキイキ☆お元気に。