セブンイレブンのタンピン管理といえば,POSシステムが連想ゲームのように呼応します。しかしセブンイレブンでは当初,何と“正ちゃんマーク”で商品の個数を数えていました。セブンイレブンの鈴木敏文さんの姿勢は「ITは単なる道具,使えるなら徹底的に使うし,使えないなら正チャンマークでもかまわない」という明快なものでした。

 花王は1970年代後半,当時の丸田芳郎社長の「消費者の不満や声を開発に繋げよ!」との鶴の一声で,エコーシステムを開発しました。エコーシステムとは電話やハガキなどのお客様の声をデータベース化し,製品の開発部隊に繋げる消費者相談システムです。花王繁栄の基礎を作ったシステムです。

 今でこそコールセンターとして当たり前の機能ですが,当時のコンピュータ技術ではエコーシステムの実現は簡単ではありませんでした。担当女性の前には,汎用機端末,画像処理端末,入力端末の3つの端末が並ぶという,すこぶる高価なシステムとなりました。「成熟したIT技術があるからビジネスに一丁使ってみようか」ではなく,ビジネス・ニーズ,経営ニーズが先にあり,未完成でもその時点で使えるならITでも何でも使おうという経営者のしたたかさ。IT技術の前に,まず経営戦略を達成しようという意思があったのです。

 1991年,エコーシステムの次世代端末を提案するという案件が,私が働いていたアルゴシステムに来ました。アルゴシステムは当時としては優れたマルチウインドウの操作性を持つネクストコンピュータを提案し,私は花王の和歌山工場へ数回飛びました。

 ネクストコンピュータを花王へ提案したのは,私の部下だった優秀なSEです。彼はカリスマ,スティーブ・ジョブズの信奉者であり,自宅では当時200万円もするネクストコンピュータを愛用していました。ネクストコンピュータを提案したのは,エコーシステムの次世代端末にはマルチウインドウが不可欠だと考えたためです。しかし,次世代端末の導入以前に,花王は当時の未成熟なIT技術でエコーシステムを何とか実現していたのです。強い経営ニーズがそうさせたんだと,逆に感動した記憶があります。

 セブンイレブンの鈴木さんはITを使わず,花王の丸田さんは使いました。でも2人に共通していたのは,ITよりはるかに強い経営ニーズの存在です。ここらが「ITはツール」と確信する私の絶対的原点です。2社ともIT利用の先進的模範企業です。ITベンダー,評論家,それに学者が“競争力優位の源泉としてITを”とか“ITでビジネスをイネーブル”という思考停止のようなフレーズを使うことがあります。しかし,彼らのような本物の経営者の前でも同じセリフを堂々と言えるでしょうか?

 この70年代コンピュータの黎明期は,私にとってもワクワクする時代でした。戸田さんや鈴木さんたちとは,スケールも難易度も違いますが,まさに「ITは神聖」でした。対象業務を熟知し,オンライン・システムの業務プロセスはこうなると設計したのはSEでした。対象業務へのシステムの適合性や運用のやりやすさをエンドユーザーと議論しました。ITで何ができて何ができないかは,ユーザーには分かりません。ユーザーがSEに言えたのは,問題や思いや要望でした。

 その頃の出来事で,今でも思い出すと嬉しくなることがあります。トヨタ自動車系列ディーラーのために中古車業務のオンライン・システムを開発したのですが,それを他のディーラーへ横展開で導入した時のことです。プロジェクトの山を越えたある日,そのディーラーの中古車部長は言いました。

中古車部長「しかし,戸並さんはコンピュータのこと良く知っているね」
「????コンピュータが専門ですから,当たり前です」

 何と,その部長は私を中古車業務の専門家だと思っていたそうです。自動車税の還付問題とか中古車業務の専門家しか分からない複雑な商慣行を知っているからそう思ったそうです。この話は今でも私の誇りです。

 昔は,ITプロセスを含んだ業務システムを決めるのはSE自身ですから,徹底的に考えました。「業務の自動化により現場を楽にさせる」が当時の目標です。SEのプライドもあったし,私の一存で業務システムが決定してしまうことへの責任や怖れもありました。最高の業務システムを設計し,構築するという高いモチベーションがありました。ですから私自身,入社5~10年目の若手SE時代にユーザー部門の部長や担当役員とガンガンに議論していました。そのころの黎明期のSEは皆こんなもんでした。ユーザーもIT化なんて分かりませんから要件なんて言えません。ソリューションはまさにSEの範ちゅうでした。

 SEには,システム的視点で全体業務を見渡す俯瞰的な鳥の目と,インプリメントする詳細緻密な虫の目が必要です。しかし残念ながら,ほとんどのIT屋は鳥の目はコンサルに譲るようになり,構築専業になってしまいました。リスクの少ない人月ルールの構築ビジネスにシフトすることで,SEは難しいけど楽しく誇りのある「システム・エンジニアリング・ビジネス」から遠ざかってしまったのです。