甘利直幸さん(右)と筆者(左)
甘利直幸さん(右)と筆者(左)
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 ある日、コンサルタントの金子則彦さんと食事をしていたとき、人間の頭は何歳までボケないかで議論になった。金子さんは、「スポーツをして体を鍛えれば筋力が衰えないのと同様に、シャドーイング(本の内容を頭の中で思い出すこと)のようなトレーニングをしていれば頭も衰えない」と言う。私は、そんなことはないと主張した。私の周りにいる老人は、失礼ながら多少ボケているところがあると感じていたからだ。しばらく意見を交わした後で金子さんは、「それじゃあ、90歳になってもまったくボケていない人がいるから一緒に会いに行こう」と言い出した。90歳だって! そりゃすごいや。ぜひ会わせていただこうじゃないか。

 そんなわけで、新宿のデパートの中にある加賀料理店で一席設け(同席した出版社さんにご馳走していただきました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます)、90歳の甘利直幸先生とお会いすることになった。いや~、本当にビックリした。失礼ながら、見かけはご老人だが、頭の中は、まったくボケていない。と言うか、現役エンジニアと何ら変わらない。甘利先生は、通信技術が専門であり、今から約50年前に、日本の企業に初めてコンピュータを導入した人だ。当時の話も含め、2時間ほど、実に有益なお話を聞かせていただいき、大いに感動した。

 よしっ! 日経システム構築連載「SEを元気にする12の言霊」の最終回は、甘利先生に締めていただこう。取材をお願いすると、甘利先生は、快く引き受けてくださった。2004年の初秋の頃、渋谷ハチ公前で待ち合わせて、若きITエンジニアへのアドバイスをテーマにインタビューを行った。お陰様で、心に染み入る素晴らしい言霊を頂戴することができた。

矢沢:先生が、初めてコンピュータに触れたのは、いつですか?
甘利:42歳か43歳の頃、当時の電電公社の事務近代化準備室に初めてコンピュータを導入したときです。
矢沢:うわっ! 今の私の年齢と同じじゃないですか。ずいぶん遅かったのですね。
甘利:40代からの新しいチャレンジでした。英文のマニュアルを見ても用語さえわからないし、メーカーに問い合わせても何も答えがもらえない。しかたがないので、「こうすれば、こうなる」と自分で色々やってみて結果を確かめて行くしかありませんでした。OSが無いコンピュータだったので、2進数のスイッチでローダー(プログラムをロードするプログラム)を打ち込むことから始めなければなりません。1文字でも打ち間違えれば、最初からやり直しです。半年~1年ぐらいは、本当にコンピュータの後ろで寝泊りしてました(笑い)。
矢沢:すごいなぁ! その経験から得たものは何でしょう?
甘利:コンピュータの基本的なルールが見えてきました。コンピュータが故障すると、どこが悪いか、すぐにわかるようになりました。エンジニアは、基礎を理解していることが重要です。新しい技術が登場しても、基礎がしっかりしていれば必ず理解できるからです。
矢沢:失礼ながら、年を取っても限界を感じないのは、基礎ができているからですか?
甘利:それ以上に、技術に対する興味が尽きないからだと思います。今でも「なぜこうなるのだろう」と思うと、その疑問を解決したくなります。
矢沢:先生は、教える仕事もされてますよね?
甘利:はい。教えることも重要な仕事です。私は、30代の頃、戦中のジャワ島で、捕虜になっていたオランダ人技術者から通信の最新技術を教わりました。敵味方など関係なく、純粋に技術を愛し、惜しみなく教えてくれる彼らの姿に感動しました。先輩エンジニアは、自分が覚えたことを後輩エンジニアに伝えていくべきです。
矢沢:それでは最後に、大先輩である先生から、若きエンジニアへ何かメッセージをお願いします。
甘利:無駄だなどど思わずに、突っ込んで基礎の勉強をしてください。基礎を知らないと、長いエンジニア人生ですいぶん損をすることになります。新しい技術を習得するのに時間がかかるからです。それに、若い時に苦労して覚えたことは、その後の人生に必ず役に立ちます。どうか、恐れずに突き進んでください。
矢沢:はい。がんばります!

 いかがですか。90歳の大先輩から「基礎を知らないと”長いエンジニア人生”でずいぶん損をする」と言われると、ずっしりした重みを感じますね。私は、IT企業の新人研修で講師をすることがありますが、講義の冒頭で必ず甘利先生のメッセージを受講者に伝えています。45歳の私が「基礎が大事」と言っても、あまり説得力がありませんが、90歳の甘利先生の言葉なら、誰でも聞き入れてくれます。甘利先生、これからもお元気で!!

■変更履歴
 本文3段落目にある取材時期の表記を「1994年」から「2004年」に訂正しました。[2006/04/17 13:53]