マイクロプロセッサは,1971年の誕生と同時に2つの顔を持つようになった。「知的能力」と「コンピューティング・パワー(計算力)」である。これらはいずれも,人類に計り知れないほど大きな影響を及ぼした。およそ人間の発明したもので,マイクロプロセッサほど短期間のうちに大きな影響を与えたものはほかに見当たらない。

 マイクロプロセッサが提供する知的能力は,ワンチップのマイコンとして発展し,家庭電化製品,オフィス機器,自動車,通信機器など,あらゆる分野で広範囲にわたって活用されている。18世紀中葉にイギリスで始まった「動力」による第1次産業革命は,人類の機械力学的能力の限界を事実上なくした。次に,19世紀中葉にアメリカで始まった「電力」による第2次産業革命は,通信,放送,電化製品によって速度と快適さのある近代文明を人類にもたらし,大規模なエレクトロニクス産業を築き上げた。そして,シリコン小片に乗った「知的能力」を持つマイクロプロセッサによる第3次産業革命は,新たなる文化を創造するための『知への道具』を人類にもたらした。かつて家庭の文明度を測る尺度として,「動力」と「電力」の応用である,電気洗濯機や電気掃除機,エアコンなどが搭載するモーターの数が使われたことがある。現在では,家庭内で使用されているマイクロプロセッサの数で家庭の文明度を測るようになっている。

 一方,マイクロプロセッサの計算力は,それまでコンピュータ会社が独占していたコンピュ−ティング・パワ−を創造に挑戦する若き開発者に解放した。その結果,パソコン,ワークステーション,ゲーム機が登場し,ソフトウエア産業が大きく花開いた。マイクロプロセッサの誕生は,生産という文明,すなわち,いかに高品質なものを低コストで作るかを重視した時代に幕を引き,代わりに創造という文化,すなわち何を作るかを重視する時代へと導いたと言える。

 第2次大戦後に日本が強力に押し進め,高度成長をもたらした高度技術・大量生産という文明の創造と発展にはもはや陰りがでている。対して米国は,パソコンという文明の上に,マイクロプロセッサ,オペレ−ティング・システム,プログラミング言語,システム記述言語,アプリケ−ション・ソフトウエア,マルチメディアなどの文化を創造し発展させてきた。日本が今のまま生産という文明を重要視しすぎると,日本が莫大な資金を投入し,苦労して築き上げた文明の上に,米国の文化を構築するような体制になってしまい,大きな付加価値を日本が享受できなくなる。加えて,米国で開発された技術を重要視しすぎると,翻訳された米国の文化が日本に浸透し,米国流の表現方法,思考方法,仕事の進め方,価値観が主流となり,会社や社会のあり方までが変化し,日本古来の文化が消滅してしまう恐れがある。

 日本固有の文化を保ち進展させつつ創造的開発力を発揮させるのに必須なものには,「国語力」(読み書き),「算数力」(ソロバンと暗算),「美力」(美しさとは何かという美的感覚と情緒を養う)と,文学や理学といった(直接)役に立たない学問で養われる技術者としての「品格」がある。藤原正彦氏が「祖国とは国語」や「国家の品格」でも書かれたように,国語と算数と品格がより重要とされる時代になってしまった。私が学生時代を過ごした1960年代後半の東北大学理学部では,学科を決めずに学生を入学させ,1年後に学科を選択させた。化学専攻であった私は,数学,地学,天文学を専攻する学生と一軒家を借り,共同生活をした。そこには物理や工学専攻の学生も集まり,延々と話が続いた。知らぬ間に,小説を貪り読むようになった。研究者としての品格がいくらか身に付いたようだった。

 会津大学の教授になって一番驚いたのは,授業時間が3分の2に減ってしまっていたことと,学生が本を読まなくなってしまったことである。暗算ができなければ素早い予測や計画,設計ができない。文章の読み書きができなくては,論理の構築は不可能となる。何をどのように行いたいのかを表現できず,報告書も書けない。これでは,技術者ではなく,技術者を補助するテクニシャンの道しか残されていない。しかし,ほとんどの学生はこの点に気が付いていないし,自分の研究室の学生は別として講義中に教えても通じないようである。

 品格について言えば,すぐに役立つ学問とは経済学や工学であり,役に立たない学問とは文学や理学である。時代を切り拓くような技術を生み出すには,これら理学と工学の融合が重要になる。研究と開発と言ってもよい。私の在籍していたころのインテルでは,研究と開発を融合させたプロジェクトが成功していた。しかし最近のインテルはどうか。VLIW(Very Long Instruction Word)技術にのみ傾倒し,肝心要の動作周波数を上げられないItaniumプロセッサやメモリー・バンド幅という基本を忘れたXeonプロセッサなどは,よほどのてこ入れをしないと,失敗に終わるだろう。2006年に登場する新型Xeonプロセッサに期待したい。