「キャリアアップ、キャリア開発、キャリアカウンセリング・・・マスコミでも職場でも騒がれているみたい。自分も何かしなければと焦ってしまう。」こんな声が、若者からもミドルからも聞かれます。たしかにここ数年、キャリアという言葉に頻繁に接するようになりましたよね。

 身近に肌で感じている方もおられるかと思いますが、経済情勢や国際化などによって雇用慣行が変化し、働き方や働くひとの価値観が多様化しています。またIT業界に限らずともプロジェクト型の仕事が増え、従来のピラミッド型やゼネラリストを中心とした組織運営ではうまく機能しないこともでてきました。あまりの変化の激しさに、数年先の事業展開を決めかねる企業もあり、「求める人材像」を明確にしにくいということも起きているようです。

 そんなわけで、個人にとっても組織からみても、「自分のキャリアには自分で責任をもちましょう」というムードが高まっているのでしょうね。なかには、脅されるような響きでその言葉を受けとめている方もおられるかもしれません。

 ところで、キャリアという言葉からどんなことが思い浮かびますか?キャリアウーマン、○○省のキャリア組、キャリアアップなどでしょうか。でも、キャリアというのは、何か特別な職業の人や昇進を続けていく人だけでなく、誰にとってもあるはずですよね。それに、ゴルフ暦7年とかこの町に住んで10年とか、仕事以外のシーンにもキャリアがありそうです。辞書をみますと、車の経路や轍、前進、驀進といった意味もあるようです。

 「職歴」とされることが多いようですが、これは履歴書に列挙されるような、客観的な事実ですね。それに対して、主観的にみるキャリアもありそうです。例えば、あるシステム構築プロジェクトに参画したという経験を、「スキルを試すいい機会だった」と捉えたり、「他社の技術者と協働するコツを学んだ」と捉えたりするような、その人にとっての意味や価値です。

 また、主観的なキャリアには「在庫管理、経理、人事など様々な分野のステム開発を経験してきて、どれかひとつを極めたわけではないけれど、振り返ってみれば大半が小売業だったので、小売業界については内部事情までよくわかるようになった」とこれまでの経験の積み重ねや流れ(道程)に自分なりの意味づけをし、ストーリーとして語られるという側面もあるでしょう。そこに、その人ならではの意味や価値が映しだされていそうです。

 わたくしの場合、個人的にはどちらかというと主観的なところを重視して、キャリアを‘仕事生活の道程と意味づけ’というふうに考えています。働く生活全般における経験の積み重ねと、それを本人がどのように意味づけるか、価値を見出すかということを大切にしています。

 長い道程には、健康上の問題や育児や介護などで、全速力で前進できない時期もあるかもしれませんが、それらも含めてキャリアだと思います。また、今後のキャリアを展望するときも「ユーザーからの感謝の言葉がなにより嬉しい」「常に最新技術を使う仕事に挑戦したい」など、自分として大事にしたい価値を起点にします。

 当然ながら、わたくしたちは様々な環境のなかで活動しているので、身近なひとや関係する組織からの期待との調和も重要ですね。大昔から、環境に適応する生物が生き延びてきたそうですし、独りよがりなイキイキというのは長続きしそうにありません。環境はどんどん変化し予期せぬ出来事もあるでしょうけど、それらとともにイキイキと歩みたいものです。

 ちょっと大袈裟かもしれませんが、キャリアというのは生き方全般と密着しているような気がしてきました。そうだとすれば「自分のキャリアには自分で責任をもちましょう」という言葉も、とても自然なことのように感じられます。では、世の中で騒がれているキャリアアップって何なのでしょうね? つづきはまた。

 それでは、今日もイキイキ☆お元気に。