ソニー・コンピュータエンタテインメント代表取締役社長兼グループCEOの久多良木健氏は,ISSCC(国際固体素子回路会議) 2006の基調講演で,「『リアルタイム・コンピューティング』こそ,次世代コンピューティングの向かうべき姿である」と力説した。ゲーム専用機という,高性能を特に追求し続けてきたパソコンとは大きく事情が異なる分野に携わってきた久多良木氏だからできた,ISSCCでは過去例のない斬新な基調講演であった。

 私が世界初のマイクロプロセッサ4004を開発したころから思い続けていることは「初めに応用ありき。応用がすべて」である。4004を開発する際の最大の難関は,低速かつ低機能なプロセッサを使って,多くの入出力機器をリアルタイムで制御しつつ,電卓やキャッシュ・レジスタ(売り場のレジ)などで使われる言語で作成した応用プログラムをいかに実行させるかであった。コンピュータしかやったことのない人が「リアルタイム・コンピューティング」を本当に理解するのは難しい。それでも,『リアルタイム・コンピューティング』が次世代コンピューティングの向かうべき姿の一つであり,その技術が日本を優位に立てることを可能にする「時代を切り拓く技術」となることに異論を唱える人はいないだろう。

 1974年2月13日に米国フィラデルフィアで開催されたISSCCで,8ビット・マイクロプロセッサ8080を発表したころを思い出す。シリコン・ゲート半導体プロセスを基本とするメモリー専業会社であった米Intelでは,DRAMが長男,SRAMが次男,PROMが三男,マイクロプロセッサは四男坊であった。私が所属していたSmall Machine Groupも,社内では主流ではなかった。

 採用された論文は,「An N-Channel 8-Bit Single Chip Microprocessor」という題名であった。会社で発表の練習をするほか,家にも35mmプロジェクタを持ち帰って練習した。半年前,8080のテープアウトの翌日に誕生した双子の赤ん坊を観客にみたてての練習だった。

 やがて私の人生で最も緊張し,興奮し,晴れがましい日がやってきた。不思議と発表の前夜はよく眠れた。朝起きて食事をした後,午後の発表まで部屋にこもり,何遍も何遍も練習をした。会場に着くと立ち席まで満員であった。会場のほとんどの人が熱心に聞いてくれた。

 国際固体素子回路会議ということで,N-ChannelトランジスタのP-Channelトランジスタに対する応用における優位性に関して半分の時間を使わざるをえなかった。しかし,最後はちょっと気張って8080のチップ写真を紹介した。「これがその8080です」。大きな大きな拍手が続いた。

 発表は大成功であった。気持ちの良い興奮はなかなか収まらなかった。8080は1個300ドルで飛ぶように売れ,四男から次男の地位へと昇格した。Intelの創業者の一人である故Robert N. Noyce博士が,満面に笑みをたたえて,大勢のお客さんを引き連れて実験室に来たことを思い出す。

 久多良木氏は基調講演終了後に,「トランジスタがこうなるとか,トンネル効果がどうなるとか,チュートリアル的な基調講演が多い。しかし『そのあとは?』という問いに対する将来ビジョンの提示は少ないと思う。どのような用途に使うのかがハッキリしていない話も多い」と述べた。

 同感である。半導体プロセスもマイクロプロセッサも道具であり部品でしかない。どんな市場(Who)に,どんな製品(What)を開発するかが重要であって,どんなやり方(How)で開発するかは自由である,という時代が到来した。しかし,自由というものは豊富な多種多様な技術の蓄積があって初めて手に入るものである。新しい時代を迎え,多様で複雑なシステムを構築するためには,創造的に開発した「時代を切り拓く技術」が必須となる。

 実を言えば,私自身はマイクロプロセッサ4004が完成したときよりも,自分のプロジェクトである電卓が完成したときのほうが,はるかに感激した。電卓のプログラムを試作機のメモリーにロードした後,試作機のリセット・ボタンを離す時の,希望と不安が入り混じった胸の鼓動を今でも覚えている。成功すれば天国への切符が手に入り,失敗すれば地獄行きとなる。

 PlayStation 3の成功に期待している。