「Windows」は,1985年に登場したバージョン1以来,何かと話題の多いOSであった。

 バージョン1は,発表してから発売までの期間が長過ぎた上,やっと登場した製品は期待外れでしかなかった。バージョン2で,少しまともになったが,DOS上の操作環境(シェル)に過ぎなかった。バージョン3でメモリー管理やプロセス管理が強化されOSらしくなったが,16ビット・システムによる動作環境は,かなり不安定だった。

 続くWindows 95は待望の32ビット化を達成したものの,互換性を維持するため16ビットWindowsのコードが大量に残され,性能や安定性向上の足かせとなってしまった。しかし,完全に32ビット化されたWindows NTは互換性の面からそれほど普及せず,一部のマニアとサーバー市場を獲得しただけであった。

 ところが,こうした問題にも関わらず,Windowsファミリは,最終的にPC市場をほぼ独占してしまった。一体何が起きたのだろう。「コンピュータ業界で,技術的に優れた製品が標準となったことはない」とうそぶく人もいるが,市場シェアを獲得するには必ず理由があるものだ。

 振り返ってみると,Windowsの歴史には学ぶべきところがたくさんある。多くの人が揶揄するように,Windowsは決して「技術的に最高のOS」ではない。しかし「マーケティングだけで成功した」というわけでもない。Windowsが成功した背景には,技術とマーケティングの絶妙なバランスに加え,いくつかの幸運が重なったことが大きい。

 本連載では,Windowsを切り口に,さまざまな面からコンピュータ市場について,私が考えたことを書いていこうと思う。楽しく読んでいただければそれで十分だが,万一にでも読者の方のビジネスに役立てば幸いである。なお,あくまでも私の主観であるので,異論や反論はあると思う。ご意見をいただければ可能な限りお答えしたい。

 ところで,連載のタイトルは「100年Windows」とさせていただいた。これは,母校である同志社大学の設立旨意書に登場する言葉にちなんだ。

「諺に曰く,一年の謀ごとは穀を植ゆるに在り,十年の謀ごとは木を植ゆるに在り,百年の謀ごとは人を植ゆるに在り」(「同志社大学設立の旨意」の最後の部分)。

 先に書いたとおり,本連載は単に楽しんでもらえれば十分なのだが,書き手の意識としては,少し大げさだが「Windowsを題材に人を育てる」という意識を持っているつもりである。もっとも,読者の方からは「横山は100年でもWindowsだけやってろ」と言われてしまうかもしれない。さすがに100年は私の寿命が持たないが,既に12年もの間Windowsに関わっている。これからも当分は関わるつもりである。ドッグイヤー換算だと100年は14年くらいになるので,あながち間違いではないのかも知れない。