最近「社長ブログを書く時の留意点」について質問される機会が増えました。おそらく、は、うっかり失言をしないためのリスク管理や、誤解を受けずに効果的にメッセージを伝えるテクニックなどについての回答を期待されているのでしょう。

 しかし、企業や団体のトップが書くブログ、言わば「トップブログ」には、そうした小手先の技法などよりも、はるかに重要な「精神性」が問われるに思えてなりません。その「精神性」とは、いわば、全てのリスクと責任を負って立つトップの「覚悟」そのものです。言葉にはしづらいこの「覚悟」なるものを、あえて三つの要件にまとめるとするなら、「夢と志」「率直さとユーモア」「行動力と感謝力」ということになるかもしれません。

 そして、トップの覚悟=三つの精神的な要件がにじみでるトップブログのお手本として、私がいつも思い浮かべ、かくありたいと思うのは、日本財団 笹川陽平会長のブログなのです。

 なぜ、突然、日本財団?笹川会長?とお思いになる方も多いでしょう。ひょっとしたら、個人礼賛記事やイデオロギーの喧伝だと早とちりされるかもしれません。しかし、その答えは「ブログ」の中にありますので、ぜひご一読ください。果たして、読者のみなさまが所属している会社や団体のトップは、このようなブログを書くことができるでしょうか?

「夢と志」

 笹川会長のブログで、おそらく一番有名な記事は、昨年2005年の11月9日の「南京大学でのショート・スピーチ」でしょう。これは、11月5日、中国・南京大学で教授・学生約400人にスピーチした内容です。

 南京と言えば、私には忘れられない光景があります。今から約20年前、私は、中国の経済改革を専攻していたゼミの友人たちと、中国の各地を卒業旅行で訪ねました。その途上、南京で、困惑するガイドを説得して無理やり訪ねたのが「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」でした。

 ここでの展示の真偽はさておき、小学生たちが社会科見学で展示に見入っている姿は忘れることができません。この子どもたちが、将来大人になった時に、日本人にどんな感情を抱くのだろう....そう考えると背筋が寒くなったのを憶えています。

 ところが、彼の地で行われた笹川会長の即興のスピーチは、予想外の一言で始まり、予想外の爆笑で迎えられたのです。


「私は皆さんの嫌いな日本人です(大笑い)。せっかくの機会でございますので、率直なお話をしたいと思います」

 もちろん、これまで、相互理解を深めるため、日本財団が同大学に8万冊を超える本を寄贈し、奨学金基金などを設けるといった支援を続けてきたからこその笑顔でしょう。日本語と日本文化を理解して、心通じる素地があったのです。このスピーチ中の、次の一節を聞いて、南京の学生のみならず、日本人である私の胸も熱くなりました。


「私達日本人は、ここ10年ほど死ぬような苦しみをしてきました、経済が悪くて。しかし私達は、とにかく一番儲かる商売があるんだけど、絶対やっちゃいけない。私達はなんとしても我慢してこの経済不況を乗り切ろう。儲かる商売があるんですがやらなかったんです。何だと思います?答えられる人、手を上げてください。(誰もなし)

これはね、日本は本当に戦後60年、国民の一人一人が平和を願って身をもってやってきたんです。兵器、武器を作って外国に輸出することを一切していない。今もしていない。これやったら儲かるんですよ。日本はもっと早く良くなる。それでも私達日本人は平和の重要さということを知っているので、先進国で日本だけです。武器や弾のひとつも売ったことがありません。」

そして、スピーチの最後は、こんな「夢」で結ばれています。


「日中間には2000年の友好の歴史があり、いわば夫婦みたいなものだ。時々喧嘩もするけれど2000年というふうに見れば、たいしたことはない、というふうにおおらかな気持ちで冷静に日中間を見ていただきたいと思いますし、また、皆様方に日中関係をより良い関係にしていく責任もあるということもご理解いただきたいと思います。」

 また「志」のあるところには「志」のある人が集まってきます。例えば、「世界ハンセン病の日」のグローバルアピールに賛同してくれた12人の顔ぶれに驚くでしょう。ジミー・カーター、ダライ・ラマ、デスモンド・ツツ....。


「私は30年以上にわたって医学面でのハンセン病制圧の活動に従事してきましたが、この社会的差別の問題に対して行動を起こしたのは、恥しいことに最近のことです。

しかし、世界にこの問題を訴え、誤解や偏見をなくし、差別をなくすための私の活動には限界があり、無力さを痛感してきました。そこで、大きな影響力のある声が必要であると考え、これまでの日本財団の活動を通じて知り合い、行動を共にしてきた友人たちの助けを借りることにしました。幸いにも、皆さんの賛同を得ることができました。」

 また、「将来を担う若者のために」というブログ記事を読めば、むしろ発展途上国の無名の奨学生たちに「志」の大切さを逆に教わっているような気分になるのです。

率直さとユーモア

 「包み隠さず、率直に本音を語る」----そんな当り前の要件が、実は、社長ブログのボトルネックになるかもしれません。監査法人や認証機関までが社長と癒着して、あてにならない時代、あえて赤裸々にブログを書くには、よほど「腹」が据わっていなければなりません。マスメディアに、ブログメディアに騒がれる前に、むしろ積極的に情報公開する「覚悟」も必要なのです。

 「赤旗と共産党」というドキッとする題名の記事に、こんな一節がありました。日本財団のブログプロジェクトを私がボランティアで応援していると縁者に伝えますと、「右翼」かと誤解されることもあるので、あえてこの記事をご紹介します。


「日本は現在も人物を右とか左とかで判断するところがある。

かつて、笹川良一がA級戦犯容疑(後日、裁判もなく釈放)で出頭する際、銀座の街頭で盛大な送別会が開催された。送別の辞は、かつての民社党の創設者、西尾末広氏であった。

翌朝の新聞で西尾氏は、「思想を売った」と批判されたが、「思想信条は違っても男の友情は変わらない」と反論された。

笹川の交友関係は広く、日本社会党の鈴木茂三郎氏、神近市子氏の書簡も残されている。

笹川はある点で宮本顕治氏を評価していた。極寒の地、網走刑務所で15年以上、転向もせず頑張り通した強靭な精神力に対してであった。」

 右も左もない。主義主張よりも、人と人の縁を大切にする...そんな発想にわが意を得たりと感じました。私も、神道章ボーイスカウトでありながら禅や老荘思想にも惹かれ、大学のゼミでは社会主義経済論を、日興證券ではファイナンシャル・プランニングを学び、現在は経営者の修行中の身....即ち、右や左という二元論では発想をしない生き方をしたいと強く思ったのです。

 しかし、ただ率直なだけでは、波風を立てることもあるでしょう。やはり、時にはユーモアも必要なのです。もちろん、それは風刺や皮肉ではなく、愛情のまなざしに基づくものであってほしいのです。

 「私の警護官」には、そんな優しいユーモアがあふれています。

「ジャールカンド州のVIPとして、私には警護官が1人ついている。立派な髭をはやし、色あせたベレー帽を頭にのせた姿は、その筋のエリートかもしれない。

2メートル以内に付き添うのでよろしくと挨拶されたが、私は直感的に事件が発生したら真っ先に逃げるだろうと推測しながら、彼の同行に興味を持った。食事の時は私に背を向け、大盛の皿と格闘していた。

ハンセン病の施設を訪問した時には、大勢の人に囲まれたせいか、彼の姿を見ることはできなかった。」

さてその後、警護官はどんな行動を取ったでしょうか?

「行動力と感謝力」

 しかし、何と言っても、この1年のブログを振り返って圧倒的なのは、その行動力で、ハードスケジュールに驚きます。

 昨年5月25日に、「日本財団・新会長に選任される」という記事があります。そこでは、あえて記者会見での嫌な質問について触れています。

「私に対して、記者から「『世襲』についてどのように考えるか」との質問がありましたので、私は、「ご批判のあることは承知しております。しかしながら、理事会、評議員会で選任されましたことを厳粛に受けとめておりますので、『ハンセン病の世界制圧』をはじめ、今後の活動で評価していただきたい」と答えました。」

 そして、実に多忙な日々の中、ブログにその行動を刻み続けて、昨年末12月28日「雑感」という記事に結実します。

「今年7月1日に日本財団会長に就任した。就任の雑事に追われながらも18回、134日の海外活動となった。

特にハンセン病制圧活動の中心地であるインドには7回の訪問。
中国には4回ではあるが、特に11月5日の南京大学での講演(ブログでは11月9日に報告)は予想外の反響であった。12月11日のフジテレビ「報道2001」で竹村健一氏が講演について紹介してくれたことは望外のことであった。

私の拙いブログも初心のとおり、日本財団会長としての情報公開の一環であるが、若干ではあるがその役割を果たせたと考えている。

勿論、退屈な文章にお付き合いくださった読者諸兄のおかげであり、感謝の誠を捧げたい。」

 財団の会長というと、「会長室に時々やってきて、仕事らしい仕事をしない」と思っていたのは、私だけではないはずです。それが、134日もの海外での公務を果たしていたのです。それも南の島のリゾートの休暇ではないのです。おいそれと真似ができるものではありません。

 この「雑感」という記事も、感謝の言葉で締めくくられていますが、「感謝力」とも言うべき心配りもブログの端々に感じられます。例えば「4時起きでジャールカンドへ」という記事を読めば、職員のみなさんもますますがんばろうと思うでしょう。

「昨日は早朝4時50分、今日も4時30分の出発である。私の活動は、いつも強行日程で職員に大きな負担を掛けているのは心苦しい限りだ。

何事も予定通りに行かないインドで、特に1泊での移動は困難を極める。連絡、確認、出張報告書の作成、相手方との交渉、荷造り等、職員の仕事は早朝から深夜に及び、黙々と仕事を処理する姿は頼もしいが、申し訳ない気持ちが先に立つ。」

 笹川会長に限らず、尊敬する先輩リーダーの方にお会いしてお話を伺うと、孤高でありながら、温かみのある人柄に感動する場合が多いのです。今後、しかるべきリーダーが、トップブログを始めれば、その心の動きを感得する人たちが増えるでしょう。

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 これからは、民間企業は公益法人に習ってより崇高な理念を持ち、公益法人は民間企業に習ってより効率的な経営をするようになるはずです。そのためにも、それぞれのトップがブログを通じて、夢と志を、時に率直に、時にユーモアを持って語ることが大切でしょう。そして、地道に日々の行動を積み重ねながら、おかげさまでの気持ちを忘れないようにすることが重要でしょう。

▼日本財団会長 笹川陽平ブログ
 http://blog.canpan.info/sasakawa/