日経システム構築のM記者から「たまには、私からゲストを紹介しましょう。すごく元気で面白い人がいるんです。きっと矢沢さんと気が合うと思いますよ」ということで、小野 哲(おの・さとし)さんを取材することになった。当時の小野さんは、栃木県宇都宮市にある株式会社ランスというシステムインテグレータで、取締役副社長・技術開発部・技術統括部長をされていた。主にLinuxを使ったWebシステムを開発しているとのこと。さらに、日経BP社の雑誌で記事も書いているそうだ。
宇都宮と言えば、「餃子の町」である。約束の時間より早めに現地入りした私は、駅前にある数件の餃子専門店の中から手ごろな店を選んで「餃子定食」なるものを頼んだ。餃子、ご飯、スープ、漬物がセットになっている。なかなか美味い! 餃子なんてものが名物なのだから、ここは東京でも横浜でもない。地方都市なんだと実感した。なぜ、小野さんは、地方でシステム開発の仕事をしているのだろう。いっそのこと、東京に進出するべきだ。東京に出ることが成功だろう。田舎にシステム開発の仕事なんてあるのか...失礼ながら、そう思ってしまう。しかし、小野さんは、生まれ故郷である栃木を離れようとしない。なぜか? それを聞き出すことを取材のテーマとした。
ランスの応接室で、小野さんと対面。同じライターということで、小野さんは私の名前を知ってくれていたようだ。形通りの挨拶を済ませた後で、「生の矢沢さんに会えて嬉しい」としっかり手を握ってくれた。ものすごく人なつこい人だ。ジーッと私を見つめて、ニコニコしながら話をしてくれる。意見が一致すると「ああ、そうですか! やっぱり」と言って立ち上がり、何度も握手を求めてくる。まるで、砂漠の真ん中で、半年振りに人に会ったかのようだ。そうされて私も嬉しいのだが、ちょっと照れくさくなってしまった。
矢沢:最初に、小野さんのプロフィールを教えてください。
小野:最初は、アパレル関係のデザイナーになりたくて上京しましたが、すぐに向いてないとわかって、フリーター生活をしていました。それで、21歳のときにいわゆる「できちゃった結婚」で栃木に帰ってきたんです。Uターンの理由って、だいたい挫折か結婚ですよね。
矢沢:どんなきっかけで、コンピュータの仕事をするようになったのですか?
小野:栃木の家業(アパレル関係)を手伝ってフラフラしていたときに、友人が勤務していた小さなソフトハウスに誘われたのです。
矢沢:まったく違う業界に入って、大丈夫でしたか?
小野:もともとコンピュータに興味があったのですが、家業を継がなくちゃいけないという責任感からガマンしていたのかもしれませんね。だから、コンピュータ業界に入れたことが嬉しくて、手当たり次第に勉強しました。新しい本が出れば、全部買っちゃうぐらい。2~3日徹夜で勉強しても平気でした。ええっ! 矢沢さんも同じなんですか、嬉しいなぁ(立ち上がって握手)。
矢沢:独立してランスを立ち上げたきっかけは?
小野:その友人(現在のランスの社長)から誘われて、3人でスタートしました。私は、独立して儲けようなどと考えたわけじゃないんです。UnixとC言語が使えるなら、どこでもよかったんです。
矢沢:失礼ながら、栃木の田舎で仕事が取れましたか?
小野:前の会社のお客さんを奪うわけにはいかないので、東京まで新しい仕事を取りに行きました。大いにがんばったので、仕事を依頼してくれた会社の開発チームでリーダーになっちゃったりしました。
矢沢:あはは。うちに来ないかと、スカウトされたでしょう?
小野:はい。最高で月給200万円という誘いがありました。
矢沢:それでも栃木を離れなかった理由は何ですか?
小野:自由でいたいからですね。
矢沢:う~ん、その気持ち、わかるような気がします。生まれ育った故郷なら、心が自由でいられるわけですね?
小野:はい、その通りです(また立ち上がって握手)。ここにいると、集中できるし、落ち着きます。たまに東京に打ち合わせに行くのが面倒なのと、人材が集まらないという悩みがありますけどね。
矢沢:栃木へのUターン歓迎というわけですね。
小野:もちろんです。Uターンでも、ガタガタ・ターンでも、異業種からでも、大歓迎です。
矢沢:ランスと言うか、小野さんが注目している技術は何ですか?
小野:現在の業務はLinuxがメインですが、これからは.NETが面白そうですね。特に、オープンソース系の.NETに注目しています。
矢沢:小野さんは、流れに身を任せているようでいて、実は自分のやりたいことを自由にやって来たのですね!
小野:はい。ここにいれば、それができるんです。
写真ではわからないが、小野さんは下駄ばきで、リュックサックを背負っていた。驚いたことに、インタビューが終わると「打ち合わせがあるので」と言って、その格好のままで客先に出かけて行ってしまった。それを見た私は、小野さんが言っていた「心が自由でいられる」という意味がわかったような気がした。システム開発は、柔軟な発想が求められる仕事なのだから、心を縛るものがあってはいけない。海外のITエンジニアのように、普段着で仕事をし、自分の机の周りを好き勝手に飾り付けて自由な環境を作るべきだ。
ところが、日本のITエンジニアは、なかなか自由になろうとしない。人目を気にして、スーツを着てネクタイを締め、窮屈そうにに体を縛っている。そんな人であっても、自分の生まれ故郷に戻れば、心を自由にできる。今より、もっともっと仕事に打ち込めるはずだ。小野さんの取材記事のタイトルとなる元気な言霊は、「ここ(栃木)にいるから、やりたいことが自由にできる」とした。