早稲田大学理工学部にある筧先生の研究室で取材を行うことになった。実は、私も早稲田大学(コンピュータとはあまり縁のない機械工学科)の出身であり、勝手知ったる我が家のように校舎の中を歩き回った。春休みの期間なので学生の姿は少なく、広いキャンパスの中は、春の日に照らされてのんびりした雰囲気だった。私は、懐かしさのあまり、同行したM記者と一緒に学生生協の食堂や書店に足を運んでみた。自分が在学中だった頃に比べて、食堂のメニューの数が減ったような気がした。「ニラレバ定食がない!」書店に置いてある本のレベルが低くなったように感じた。OBとして、「後輩どもは、なっとらん」と小言をいいたくなってしまった。まあ、早い話が、私もオジサンになったわけだ。

 筧先生の研究室に到着する。床にはカーペットが敷かれており、スリッパに履き替えて上がるようになっていた。助手や学生のための机が並び、壁一面に広がる本棚に書籍やファイルがギッシリ詰まっている。勉強の他にやることがない、いかにも「研究室」という感じだ。筧先生は、一番奥の机でメールをチェックされていた。ご愛用のマシンは、Macだった。応接用に椅子に座って、インタビュー・スタート。テーマは、「情報処理学会へいらっしゃい!」である。現場でバリバリ活躍しているITエンジニアも、たまにはアカデミックな世界をのぞいてみましょうという趣旨だ。

矢沢:最初にちょっと失礼なことをお聞きします。道具に過ぎないコンピュータを科学的に勉強することに、何の意義があるのでしょう?
筧:1903年にライト兄弟が世界で初めて動力飛行に成功してから約50年後には、旅客機でハワイ旅行ができるようになりましたね。その間に考案された技術や理論の数は、膨大なもののはずです。それと同様に、現在のコンピュータにも約50年の歴史があります。コンピュータ科学を勉強しないなんて、もったいないことです。現場で自己流の試行錯誤をしているだけでは、あまりにも無駄が多すぎるでしょう。
矢沢:うわ~っ、言われてみれば、その通りですね!
筧:現場の人たちは、忙しくて時間を割けないのかもしれません。だから、私のような忙しくない学者が、コンピュータを科学的に整理して体系化しているわけです。どうぞ利用してください。
矢沢:どのような人にコンピュータ科学を勉強してほしいと思いますか?
筧:技術者には、視野を広くするための手段として勉強してほしいですね。経営者には、新しい技術を製品化するために勉強して、お金を稼いでほしいと思います。温故知新という言葉の通り、学問は現在から先に進むためにあるのですから。
矢沢:なるほど、温故知新ってそういう意味だったんですね。先に進む、いい言葉だなぁ。それでは、どのような手段で勉強すればいいでしょう?
筧:今すぐ情報処理学会に入会してください...とは言いませんので、まずは情報処理学会のホームページをご覧ください。ヒントが得られるはずです。
矢沢:「学会」と聞くと、ちょっと敷居が高いように感じますが。
筧:いえいえ、そんなことはありませんよ。コンピュータに興味を持つ人たちが集う「ソサエティ」もしくは「仲良しグループ」のようなものだと考えて、お気軽に参加してください。
矢沢:学歴や職種に関らず、誰でも入会できるのですか?
筧:もちろんです。会員にならないとホームページのコンテンツの多くを閲覧できませんが、シンポジウムや研究発表会などのイベントなら誰でも(会員でなくても)参加できます。論文などで情報を得ることより、学会に集う人と直接会って話をすることに意義があると思いますよ。
矢沢:その際に心配なのですが、学会と現場の話題は同じでしょうか?
筧:学会の話題の方が、先に進んでしまっていると思います。そのため、学会に参加したものの現場と合わないと感じて、だんだん足が遠のいてしまう人が多いようです。もっと現場の人たちと触れ合いたいというのが、現在の学会の大きな悩みなのです。
矢沢:たとえば「Windowsのセキュリティ」といった具体的な製品に関する話題は、学会ではできませんよね?
筧:NHKと同じで、公にする情報の中に製品名は出せません。ただし、学会に集う人どうしが個別に話し合うのは自由です。それによって、現場で悩んでいることが、既に解決済みだったことがわかることもよくあります。
矢沢:ところで、ふだん私たちが、あまり学会の情報を目にしないのはなぜでしょう?
筧:PR活動に力を入れてないからでしょうね。学会で研究したことは学会誌にしか載らない。そのため現場の人に見てもらえないのです。
矢沢:それは、もったいないですね。それでは最後に、先生にとってコンピュータの面白さとは何でしょうか?
筧:コンピュータ本体より、コンピュータに関わる人が面白いですね。若い人が新たな発想で作ったプログラムを読むのを楽しみにしています。
矢沢:先生は、人と人との触れ合いを大事にされているのですね。
筧:そうです。いろいろな人に出会える学会へぜひお越しください!
矢沢:はい。私も、さっそく情報処理学会のホームページを拝見させていただきます。

 現在、バリバリ活躍しているITエンジニアであっても、学生時代にコンピュータの専門教育をきちんと受けた人はそれほど多くないだろう。かくいう私も、仕事の現場でコンピュータを覚えてきた方だ。人工的に作られた道具に過ぎないコンピュータを科学するなんて意味のないことだと思っていた。ところが、筧先生の話を聞いて、自分の考えが間違いだとわかった。さっそく情報工学に関する本をいくつか読み直してみた。すると、コンピュータというものが、多くの学者やエンジニアの英知の集結であることが感じられた。50年分の英知だ。コンピュータは、実に人間味のあるものなのだ。だから、コンピュータの周りに人が集うのだ。