米Microsoft会長のBill Gates氏が不世出のビジネスマンで,天才に極めて近い存在であることに対し,疑いはまずない。ところが,技術の将来を見通せる「ビジョナリ」であるかどうかについては,大きな疑念が生ずる。Gates氏はMicrosoft BASICを開発して以来プログラムを作っていないし,1995年に出した著作「The Road Ahead」(日本語版は「ビル・ゲイツ 未来を語る」)ではインターネットにわずかしか触れていない。

 慈善事業に活動の場を移すことで,同氏は歴史上最大の慈善家の一人という評価を確立する。この評価は,どのような大事業に対する貢献よりも燦然と輝くことだろう。しかし,現実に目を向けよう。Gates氏は世界中でMicrosoftを法律や独占にかかわる悲惨なトラブルに巻き込んだ原因であり,同氏がMicrosoftで作り上げた文化は,徐々に社内で消し去られるだけのものになる。ただし,このMicrosoft文化が完全にはぬぐい去られない可能性もある。

 著者はMicrosoftに仕返しをしようなどと考えていない。Gates氏がMicrosoftで成し遂げた偉大な業績と犯した失敗はビジネス分野に限られており,技術と無関係である。著者はただ,ほとんど誰もこの事実を理解していないことに驚いているだけだ。例えば,初めてGUIを前面に押し出したのはGates氏ではなかった。同氏はMacintoshのGUIがどれほど優れているかを知り,そのインターフェースを盗み,その後20年間かけてWindowsを世界標準に仕立て上げた。その過程では,違法なビジネス手法をときおり使った。パソコン普及の初期段階で発達した「共有」という自然な状況については,Gates氏は「ユーザーはわれわれに対して盗みを働いている」との不満を口にし,恐らく避けることのできないオープン・ソース・ソフトウエアの流れに対して,今振り返ってみれば初めての抵抗と思える攻撃を準備した。

 さらに,インターネットに取り組ませてくれなかった。Microsoftが2005年ではなく1995年に「Windows Live」サービスを始めていたら,Microsoftは——それよりも同社の顧客たちは——どうなっていただろうか。もしもMicrosoft元上級副社長のBrad Silverberg氏が自分の将来予測に従って行動できていたら,どのようになっていただろうか。ところがGates氏は,「巨大で融通の利かない一枚岩(モノリシック)のドル箱」の推進継続を望み,競合企業の新たな登場を阻止するためにWindowsでInternet Explorer(IE)同こんの道を選んだ。最終的にSilverberg氏は,この決定が原因でMicrosoftを去った。この1点に絞って検討しよう。MicrosoftがRay Ozzie氏を雇い,その後チーフ・ソフトウエア・アーキテクトに昇進させたことからみると,同社は「Gates氏が1990年代半ばに下したIEに関する判断は,完全に間違っていた」と暗に認めている。Gates氏の判断から10年経過して,MicrosoftはついにIEをWindowsから切り離し,OSとは個別の活動としてインターネット攻略に取り組み出した。

 Microsoftは革新を生み出す自由の必要性をしばしば重んじ,世界中の様々な国に対して「当社が顧客に素晴らしい製品を提供しようとするのに,国家がそうした活動を妨げることなど許されない」と強固に主張する。しかし過去10年間で,Microsoftは大きな独占禁止法違反に関する係争2件を経験し,そのうち1件はいまだに終わっていない。製品の同こん販売を理由に,多くの顧客から訴えられた。法的戦略の理由でMicrosoftを提訴できない顧客の数はもっと多い。さらに一連のWindowsでリリースがますます遅れるようになり,消費者と企業の両方を苦しい状態にしてしまった。誰もが話題にし続けるこうした革新は,一体どこにあるのだろう。

 ところが現在Microsoftは毎月10億ドル以上稼いでいるので,何かがうまく機能しているに違いない。もちろん,こうした収入はすべてMicrosoftがずっと利用してきたドル箱が生み出したもので,革新的な新製品から出てきたわけではない。Gates氏が成功したビジネスマンであることは間違いない。だからといって,Microsoftのパートタイム経営者となっても,同社の日々の事業に対する影響はほとんど出ないだろう。著者はGates氏の転身を,Microsoftの従業員やパートナ企業,顧客にGates氏の恒久的な引退を受け入れてもらうための,純粋に心理的なものであるとみている。こうすれば,Gates氏が永久に会社を去っても,Microsoftにとって大きな打撃にはならない。実のところ,一時的な引退も含め,2年も前から引退を表明したビジネスマンはこれまで何人いただろう。

 率直にいえば,Microsoftにはもっと大々的な見直しが必要だ。CEOのSteve Ballmer氏も含め,Microsoft首脳の多くはGates氏の古くからの友人で,Gates氏との関係のおかげで長年権力の座に就いていられた。Microsoftの株価はここ何年も変化していない。製品の新バージョンは出荷できない状態だし,新しいビジネス・チャンスをものにできていない。Microsoftは実質的にすべての利益を,WindowsとOffice,サーバー製品から得ている。サーバー製品の販売は大きく増えたものの,利益を上げられる製品の組み合わせは,10年前に売り上げのほとんどを占めていた製品構成とそっくりだ。それなのに,なぜMicrosoftは見直しを行わないのだろうか。パソコン・ベースのサービスは,パソコン市場を無理なく拡大できる。Microsoftが持つ独占的な力と,パソコン・メーカーおよびアプリケーション開発会社を含むパートナとの協力関係は,企業市場では役に立たない。Microsoftはこうした企業市場に大きく食い込めなかった。

 察しの通り,Gates氏が引退してもMicrosoftのこうした状態は変化しない。Microsoftは今後も過去20年間と全く同じく,新しい市場で米GoogleやフィンランドNokia,ソニーといった企業に対抗し,苦戦を続ける。そして変わらず,Windows,Office,Windows Serverの大量販売を続ける。Gates氏が本物のビジョナリだったら,Microsoftの問題を認め,抜本的に改革し,従業員,株主,顧客に真の未来を提示していただろう。しかし現実は,手持ちの幹部を入れ替えているだけだ。こんなことをしていても,Microsoftが抱えている本当の問題はなにも解決できない。