「トップは明確なビジョンを我々に示せ」。時として現場は上司をこう批判する。皆さんもつい、こう言ってしまったことはないだろうか。しかし、ビジョンの直訳は幻だから、明確も何もない。ビジョンとは、実現できない、到達できない、なにものかである。

 過去を振り返ってみると筆者自身は上司に対し、「明確なビジョンを示せ」と迫った記憶がほとんどない。原稿さえ書かせてくれるなら、上司の姿勢や言動は気にならないほうであったし、仮に何か言おうと思ったとしても「編集方針を示せ」と日本語で迫ったはずだ。とはいえ、言ったにもかかわらず忘れてしまったかもしれないので、「ほとんどない」とした。

 そうした筆者が今回、ビジョンについて書いてみようと思ったのは、ある研究会に出席したことがきっかけだ。そこで「ビジョンとは何か」という話題になり、ビジョンについて考えざるを得なくなった。参加者の一人が、研究会で議論しているテーマの前提にビジョンがある、と発言したところ、他の出席者が、そもそもビジョンとは何か、共通の認識があるのか、と質問した。そこで、その場にいた参加者がそれぞれ、自分が納得できるビジョンの日本語訳を述べることになった。

 参加者は自分の考えをはっきり持っている方々ばかりで、「志」、「あるべき姿」、「展望」、「未来像」と次々に述べていく。末席にいた筆者は正直困った。ビジョンを日本語で何と言うかなど考えたこともない。幸い、ある人の日本語訳に対し、別な人が質問をして、それをきっかけに議論が再開され、筆者まで順番は回ってこなかった。

ビジョンをお蔵入りにした訳

 もう少しで発言しなければならない、と焦ったためか、頭が回り出し、昨年末に「ビジョン」を作ったことを思い出した。今年の1月1日から日経コンピュータの編集長に就任する人事が内定し、責任者になるのだから方針をまとめないといけない、と考え、年末にそれなりの時間を費やして書いてみた。

 その時にはビジョンという言葉を意識していた。普段使わない片仮名を持ち出した理由は、過去の日経コンピュータをめくっていたところ、ある論文の中に、ビジョンから始まって、ミッション、ストラテジー、ゴール、オブジェクティブ、タクティクスがそれぞれどういう関係にあるかを整理した絵が出ていた。こうした片仮名も普段は使わないが、整理の仕方にいたく感心したので、日経コンピュータの編集長という仕事に当てはめて、それぞれ定義してみた。

 1月5日の午後6時、筆者が編集長になって最初の編集会議を開いたが、このビジョン(とミッション、ストラテジー、ゴール、オブジェクティブ、タクティクス)については何も話さなかった。社内外の人達に説明し、反応を聞いた上で必要があれば修正して、編集部員に説明しようと考えたからである。だが、6月末の今日に至るまで、発表していないし、ひどい話だが作ったことすら忘れていた。

 お蔵入りさせた、いや、お蔵入りした理由は簡単で、うまく説明できないからだ。無理に話すと次のような言い方になる。「これから日経コンピュータのビジョンを説明します。これこれです。次にそのビジョンに向かうために我々が果たすべきミッションを説明します。しかじかです。次に我々が達成すべきゴールを説明します...」。こういう説明で20人近い部員が納得するとは到底思えない。自分が聞き手であったら絶対に納得しない。要するに、説明する当人の腹に落ちていない、よく分かっていない、ということになる。

 「今年の日経コンピュータは明確な方針が無いまま作られているのか」と誤解されると困るので補足しておく。年初の編集会議でビジョン(のようなもの)を話すのは止めたが、ごく単純な方針を二つ挙げ、「今年はこれだけを繰り返しお願いする」と話した。一つは筆者が入社した時に教えられたこと、もう一つは10年くらい前にある人から言われたことである。これだけで良いのかどうか分からないが、本稿の目的は日経コンピュータの楽屋裏を公開することではないので、このあたりでご容赦頂きたい。