6月12日に、日経平均株価は1万円にまで回復したが、期待通りに景気が底を打つかは予断を許さない。厳しい経済環境下で、ITベンダー各社は「コスト削減」を前面に打ち出した製品発表・紹介に余念がない。しかし、性能やTCO(所有総コスト)、ROI(投資対効果)といった数字が並べば並ぶほど、製品の魅力を感じないのは筆者だけなのだろうか。ネットの広がりにより、ものごとの判断基準はより“顧客起点”へと重心を移している。それだけにIT技術者は、従来にも増してアーキテクチャ(設計思想)を語ることが求められている。

 ITベンダーの製品発表・紹介が、スペック中心になった背景には、いくつかの理由が考えられる。最大の理由の一つは、オープン化だろう。ハード/ソフト製品の開発機能が“水平分業”になると同時に、部品の共通化(コンポーネント化)が進んだ。スタック間インタフェースの標準化が進めば進むほど、提供できる機能も標準になり、同じことを、「いかに早く、いかに安く、他より大量に」実行できるかどうかが競争点になる。

 最近は少し事情が変わりつつあるが、かつてある大手ノートPCベンダーの担当者から質問を受け、次のような会話になって落ち込んだ記憶がある。

「どうしたら、もっと弊社のブランド価値を高められるでしょうか」
「これからのノートPCがどうなるか、研究所の人が語れば、業界リーダーとしての信頼感が高まるのではありませんか」
「そうですよね。ですが部品が共通になり、その部品がどう進化するかは専業ベンダー次第ですから、技術者も先が見通せないと言うんです」
「はぁ、自分で決められないんですね・・・」

 自らの製品を語れない技術者は不幸なことだと思うが、そうした製品を使っているユーザーはさらに不幸なのではないか。「IT製品なんて、どれも同じ」と思われても仕方がない。

クラウドはスペックを語らない

 もう一つの理由は、世間が信奉する“見える化”の影響だろう。コスト、品質、プロセス、成果などなど、とにかく数値化、文書化することが進んでいる。“見える化”そのものを否定するつもりは全くないし、その効果が大きいことも否定しない。しかし、“数値化”“文書化”すること自体が目的になり、「なぜこの数字をチェックするのか」「なにを伝えるための文書なのか」への意識が希薄になっていないだろうか。

 結果、新製品発表時には、伝えやすく、かつ比較が容易な数値情報が強調されることになる。だが、先のノートPCベンダーの技術者ではないが、自らが意志決定しない、あるいはその過程に参画していなければ、数字や文書の紹介はできても、それらの理由や背景を説明することは難しい。筆者が、製品の魅力を感じられない理由の多くは、この「理由や背景の欠如」にある。

 既にナレッジマネジメント(知識管理)の分野では、「形式化した知識をいくら蓄積しても、期待する“次の行動”にはつながらない」ことが定説になりつつある。スペックは説得力が低下しているのだ。代わって期待されるのが、形式知と暗黙知の間にある経験知だ。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで交換される「私の体験」「私の感想」が、行動を起こさせる。

 こんなIT業界にあって、スペック競争から抜け出しつつあるのがクラウドコンピューティングの世界だろう。彼らは、提供するサービスの品質は語るものの、それを提供するためのIT部分については、多くを語らない(関連記事:“雲”の中にサーバーは何台あるか)。むしろ、その部分は“脱オープン化”とも呼べそうな、独自仕様による競争優位を生み出している。公開するサービス品質にしても、自らがサービス内容を決定し、それ自体による差別化を図ることで、同じ土俵での比較を難しくしている。

 今後は、クラウドもHaaS(ハードウエア・アズ・ア・サービス)やPaaS(プラットフォーム・アズ・ア・サービス)など、ハードに近い部分の切り出しや、サービスの水平分業などが起こり、スペック競争に陥るベンダーも出てくるだろう。それでも、サービス提供者は、既存のITベンダーよりも、顧客起点でサービス内容を考えざるを得ないだろうし、それを実現するためのアーキテクチャを考えざるを得ないだろう。サービスの競争力は、部品の組み合わせからは生まれないだろうからだ。