「コンダクター」と聞いて,何を思い浮かべるだろうか。一般には「指揮者」か「ツアーコンダクター(添乗員)」あたりだろう。

 コンダクター=conductorは,con(皆)+duct(導く)であり,指揮者やツアーコンダクターは,オーケストラやツアー参加者を導く点で共通している。訳語としては車掌,経営者,支配人,避雷針などもあるそうだ。

 また訳のわからないカタカナ用語を持ち出して,と顔をしかめる方がいるかもしれない。それを承知のうえで,コンダクターという言葉が,部下や後輩を持つある年齢以上の人たちが意識すべき重要な方向を示唆しているように思えてならない。

 きっとそれなりに多くの人が30代・40代,あるいはそれ以上になっても「現役」にこだわっているのではないか。「この仕事なら,まだ若い者に負けない」というたぐいだ。筆者もそうかもしれない。自分で記事を書くよりも人の記事を見る役割のほうが大きいが,それでも自分よりずっと若い記者が素晴らしい記事を書くと「負けるものか」と思ったりもする。

 一方で,自分より若い部下や後輩を支えてあげたいという気持ちを持つ人も少なくないはずだ。自覚しているかはともかく,それができるだけの経験やスキルを持っている人も多いだろう。

 そうした人は「コンダクターになる」ことを目指してもいいのではないだろうか。必ずしもコンダクターを名乗らなくてもよい。そもそも「私はコンダクターです」と明には言いにくい。自分の時間をある程度犠牲にしても,部下や後輩の仕事を後押ししようという「コンダクター精神」を意識するだけでも,ずいぶん違うのではないかと思う。

現場を知らずに業務改善は不可能

写真1●国際空港上屋の五十嵐貞一氏(写真:陶山 勉)
写真1●国際空港上屋の五十嵐貞一氏(写真:陶山 勉)
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写真2●「コンダクター」の肩書きを持つ
写真2●「コンダクター」の肩書きを持つ
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 先日,お会いしたコンダクターも,他人を導き,他人のために何かをしてあげることに意欲的な方だった。国際航空物流を扱う国際空港上屋(うわや)で代表取締役会長を務める五十嵐貞一氏である(写真1)。

 五十嵐氏は会長という肩書きに加えて,現在進行中の業務改革を伴う次期基幹システム(次期ACEシステム)構築プロジェクトでコンダクターを務める。会長と書かれた名刺と,コンダクターと書かれた名刺を用意し,必要に応じて使い分けているのである(写真2)。

 指揮者やツアーコンダクターの意味を踏まえて,五十嵐氏はコンダクターと名乗ることに決めた。理由はいくつかある。まず,プロジェクト・リーダーを側面から支える存在である点を強調するためだ。

 五十嵐氏は,国際空港上屋におけるIT化をほぼゼロの状態から主導してきた。1999年に五十嵐氏が同社に来たときには「パソコンもほとんどなければ,メールも使っていない」状態だった。さっそくパソコン一人1台体制を整備し,メールを率先して利用。現在の基幹システムであるACEの開発プロジェクトでもリーダーを務めた。

 当然,現行システムの良い点も悪い点も肌で感じている。次期システムの目指すべき方向も見えている。経験を生かし,リーダーとして再度プロジェクトを率いることもできたはずだ。

 しかし,五十嵐氏はその道を選ばなかった。代わりに,課長クラスの若手をプロジェクト全体のリーダーに抜擢。自らはコンダクターを名乗り,リーダーを側面から支える道を選んだ。

 「現行のACEは手作業の代替による効率化のためのシステム。次期ACEは業務全体の改革が狙いだ。まず何をしたいかを明確にしないと,システムを考えることができない。それには現場をよく知る若手がリーダーとして適切だと判断した」。五十嵐氏は理由をこう話す。

 その裏には,若手の育成に対する強いこだわりがある。コンダクターは指揮者であると同時に,意識改革を担う教育者であるべき。これが五十嵐氏の持論だ。「システムが多少良くなった程度で,プロジェクトが成功したとはいえない。プロジェクトに参加した若手が意識を変え,伸びてくれて初めて成功とみなせる」(同)。

 五十嵐氏がコンダクターとして意識しているのは,ブロジェクトを進めるうえで欠かせない基本的な視点や考え方をメンバーに正しく伝えることだ。「プロジェクトで大切なのは,メンバーの中で『このブロジェクトはそもそも何のためにやるのか。何が目標なのか』に関する共通認識を最初に作っておくこと。この共通認識には経営的な観点が求められる。この部分は私が話さなければいけないと考えている」(五十嵐氏)。

 業務改革の心得を説明するときには,蒸気機関を引き合いに出した。初期の蒸気機関は,ヒモを使って手で弁を開閉して制御していた。ところがあるとき,「ヒモを使わなくても,自動で弁を制御できるのではないか」と気付いた。これが蒸気機関の普及につながった,といった内容だ。こうした話を通じて,もっと良くなる,ラクになるやり方があるはずと考え,常に疑問を持ち続けることの大切さを説いた。