新型インフルエンザの感染の広がりも、少しずつ落ち着いてきたようだ。そのためか、国の検疫体制や自治体・学校の対応、企業の感染防止策などに対して、「騒ぎすぎだ」「もっと冷静に」と指摘する声があちこちから聞こえるようになった。

 現状の対策が行き過ぎたものであるなら、「騒ぎすぎ」という批判が出るのは仕方がない。しかし、4月末に新型インフルエンザの発生が確認された当時から現在までの状況を「騒ぎすぎだった」と一言で総括するのは非常に危険だと思う。

 こうした批判は、「ウイルスの毒性が比較的弱く、感染者の症状もそれほど重くない」という事実が分かった今だからこそ言えることだ。いわば“後出しジャンケン”である。

 筆者はこうした“後出し”の意見に違和感を覚えると同時に、企業が今後、より強力な新型インフルエンザの発生に備えて対策を準備することに、ネガティブなイメージを与えてしまうのではないかと危惧している。パンデミック(世界的大流行)という未知のリスクを想定した事業継続マネジメント(BCM)の取り組みが、一歩後退するのではないか、という心配である。

 危機管理に力を入れている企業はこれまで、鳥インフルエンザの変異による強毒性の新型インフルエンザの発生・蔓延を想定して、対策を準備してきた。こうした対策の多くは、WHO(世界保健機関)、厚生労働省、国立感染症研究所といった公的機関による調査研究や啓蒙活動に基づいている。

 今回の新型インフルエンザは、メキシコで発生した豚インフルエンザが変異してヒト-ヒト感染の能力を獲得したもの。いわば想定外だったわけだ。しかし誤解してならないのは、決して鳥インフルエンザが変異して新型インフルエンザが発生するリスクが減ったわけではない、ということである。

 むしろ、ここにきてリスクが高まっているという指摘もある。強毒性の鳥インフルエンザに感染した豚がインドネシアで発見され、今回の豚インフルエンザと同様、豚の体内でヒト-ヒト感染の能力を獲得する可能性が出てきたからだ(関連記事「強毒性ウイルスに備えよ、今こそ対策見直しのチャンス」)。

 では、強毒性の新型インフルエンザが流行した場合に、今回の弱毒性と違って、企業にはどんな心構えや準備が必要になるのか。決定的に違うのは、社内や通勤途中での感染蔓延を防止するために、多くの社員が出勤できなくなることである。そして、社員が自宅に退避した状態で、会社の経営が行き詰まらないように業務を継続できる仕組みが必要になる。

 格付け会社スタンダード&プアーズのヴァイス・プレジデントで、危機管理の責任者として新型インフルエンザ対策を主導してきた佐柳恭威氏は、次のように話す(佐柳氏は今月、パンデミックを想定した事業継続の実践手法に関する書籍を緊急出版し、ITpro主催のセミナーで講師を務める)。

 「強毒性のウイルスがいったん流行すると、収まるまでの2カ月程度、社員は出社できなくなります。この流行の波は断続的に数度やって来るので、企業活動の停滞が1年から1年半にわたって続く、と言われています」(佐柳氏)。

 こうした危機的状況で会社を存続させるには、「最低限、資金繰りに必要な業務を洗い出し、特に優先度の高い業務を、社員が自宅などの遠隔地で実施できるようにすることが必要になります。技術的には通信インフラ、特にVPN(Virtual Private Network)の活用がカギになります」(同)。

 一口に新型インフルエンザ対策といっても、ウイルスが強毒性の場合は、こうした事業継続のための体制作りと、遠隔勤務を支える通信インフラの構築が欠かせない。マスクや消毒液を用意したり、社員の出張に制限をかけたりする以外にも、考えておくべきことが山ほどあるのだ。

 「日本ほど、多くの人がマスクをかけている国はない」という指摘がある。実際、そうなのかもしれない。しかしその一方で、「SARS(重症急性呼吸器症候群)で死者を出したことのある国々では、日本よりはるかに、遠隔勤務への取り組みが進んでいる」(佐柳氏)という。

 「騒ぎすぎだ」「もっと冷静に」という声によって、近い将来に予想される、より大きなリスクに向けた事業継続の取り組みが尻すぼみになってはならない。企業の経営者や危機管理担当者は、数カ月後に冬を迎える今こそ、「もっと冷静に」なるべきではないか。