企業システムにはライフサイクルがある。運用中のシステムは,成功体験やトラブル体験を重ねながら変化していく。やがてシステムは,環境の変化に対応できなくなり,維持コストが更改コストを上回ったタイミングで新規システムに更新する。更新しても100点満点にはなかなかならない。こういったライフサイクルをうまく循環させるのに,エンジニアが果たすべき役割は大きい。技術力,交渉力,指導力――どれも重要だが,忘れてはならないのが「体験力」だ。

進歩は体験と思考の結実

 日経NETWORKは毎年,企業のネットワーク担当者を対象にアンケート調査を実施している。何人かには実際にお会いして取材している。印象に残るのは,体験に基づいて考え抜かれた過程を話してくれた取材だ。ある企業のネットワーク担当者は最低限の投資で無線LANのセキュリティを確保するために敷地の外への電波の漏出状況をチェック,別の企業の担当者は頻発するウイルス感染事故を防ぐための対策としてネットワークの使い勝手の改善に行き着く――。

 一通りの正解しかない試験問題の模範解答とは異なり,エンジニアとしての体験と思考のプロセスの結実がそこにある。記者が考える「体験力」とはこのようなものだ。優れたエンジニアは,自分のかかわったプロジェクトをしかるべき時期に振り返る。良かったこと,良くなかったことを洗い出し,そこに至ったプロセスを分析する。同一条件のネットワークを再び作ることはなくても,体験をきちんと分析することは次のネットワーク構築に必ず役に立つ。

放っておくと歴史は繰り返す

 体験力を考えるときに記者が思い出すのは,ある通信事業者の提供するネットワーク・サービスのトラブルに関する社長記者会見だ。その社長はトラブルについて,「予想ができず,人知を超えるものだった」と発言した。発言を聞きながら記者が思い浮かべたのは,「歴史は二度繰り返す」という言葉。トラブルが人知を超える不可避なものと考えているなら,まったく同じトラブルの再発は防げても,似たような「人知を超える」トラブルは防げない。その中のいくつかは,トラブルごとに経緯と原因を究明して対策を施せば,発生を防げるものかもしれない。トラブルの再発は,第三者にとっては喜劇であっても,利用者や運営者にとっては全く笑えない――。記者はそう考えた。

 それは記者の考えすぎだったのかもしれない。そのサービスでは,その後も何回かトラブルが発生しているが,その中に体験を生かせば発生が防げたトラブルがあったとは断言できない。おそらくその社長も「放っておくと歴史は繰り返す」ことなど百も承知のはず。それでも「人知を超える」と発言したのは,責任問題を問われて,思わず口をついて出てしまったというところだろう。表向きとは別に,社内ではしっかりとトラブルを分析して,表面的にとどまらない対策を施していたのかもしれない。

眼をそむけないで振り返ることに意味がある

 今になって考え直すと,その記者会見からくみ取らなければならなかったのは,「責任問題や評価が前面に出ると,ありのままの体験が引っ込む」ということだったと思う。企業では,責任問題や悪評価を避けるために,体験の一部をなかったこと,あるいは運命にしてしまいがちだ。逆に,評価を高めたり,志気を上げるために,都合のよい体験だけをアピールすることもある。いずれも,今あるものを自省し,次の進歩につなげていくという行為にとっては障壁になるが,実にありがちだ。結果として,同じようなことを繰り返し,いつまでたっても変わらない――。読者の中にも,思い当たることがある方が多いのではないだろうか。

 もちろん企業にとって,責任を取ることや,きちんと評価することは重要。しかし,そのことが体験を分析することと相反することがある。両者のバランスの取り方は難題だ。秩序維持や人事評価を重視して,偽りを厳しく罰するという考え方もあるだろう。志気を重視して,悪かったことに眼をつぶるというのも,場合によっては有りかもしれない。システムを振り返るときには,徹底して責任問題や人事評価と切り離すという考え方もある。どれを選択するのがよいかは,システムの難易度や技術進化の速度,企業のミッションなどによって変わる。バランスの取り方にどれが正解ということはない。

 ただ,企業システムのエンジニアとしては,ぜひ体験を振り返る機会を設けるべきではないだろうか。もし,社内の制度を見直す権限があるなら,評価や責任とのバランスを考えながら,自社のシステム体験を分析してみてはどうだろうか。それほどの権限がないのであれば,差し支えのないグループ内で,あるいは一人で,良いことも悪いことも含めて,ありのままのシステム体験を振り返るだけでも,次のシステムの進歩につなげられるに違いない。

 日経NETWORKでは,トラブル体験や構築体験を含む「企業ネットワークのライフサイクルに関するアンケート」を実施しています。企業ネットワークの設計や構築運用・管理に何らかの形で関わっている,あるいは関わった方が対象です。アンケート結果は,日経NETWORKの誌面やITproなどでご紹介する予定です。ご記入いただいたご回答は基本的に統計処理のために使わせていただきます。お断りすることなく勝手にご回答を体験談などの形で誌面に紹介することはございません。是非ともご協力いただきますよう,お願いいたします。