「マスとは何か」を問う大衆のパワー

 ただし,一般化には少なからぬ心配もある。一般化によってニコニコ動画が築き上げてきた独自の文化が薄まり,面白みに欠けるようになれば,今あるニコニコ動画を支えるコンテンツ投稿者や視聴者が離れることにもなりかねない。一般化の一方で,既存の文化を壊さない手綱さばきが必要となる。

 テレビ,新聞,雑誌,ラジオを意味する4大マスメディアという言葉は,すでに実態にそぐわない。新たなメディアとして登場したインターネットは少なくとも広告価値では,すでに雑誌とラジオを抜き去り,テレビ,新聞に次ぐ3番手のメディアとなっている。

 既存の4大マスメディアは本来,「マス=大衆」に向けた情報を媒介するための存在だ。しかし,大衆はインターネット上で欲しい情報を取捨選択するとともに,自らが情報発信者にもなり始めている。これにより,既存のマスメディアは「マス」という言葉の持つ意味合いを薄めつつあり,新たなメディアであるインターネットが「マス」としての役割を高めている。

 その中で,インターネットそのものが,一般化=大衆化への道を突き進んでいる。大衆はインターネット経由のさらなる情報流通を望み,一部のコミュニティ・サイトは既存のマスメディアに匹敵する存在となっている。インターネットを支える大衆のパワーは,改めて「マスとは何か」という問いを発し続ける。そして,CGMを運営する企業にとって「最強最大の後ろ盾」(杉本誠司・ニワンゴ社長)となる大衆は,同時に収益モデルのカギを握る存在となる。

 数年前,RSSリーダーを提供するレッドクルーズを取材した際,同社元社長の増田勇氏が「企業と個人の調和こそ価値を生む」と話していたことが印象に残っている。

 カカクコム元社長の穐田氏が推進した商品ジャンルの拡大による一般化も,ヤフーの井上雅博社長が行ったオークション・サービスの認証システム導入も,収益化や違法行為への対処という課題に対し,運営する企業が果たすべき役割とサービスを支持する個人の要望の調和を取るための施策だった。

 企業が提供する社会的な影響力を高めたインターネット上のWebサービスは,企業と個人の調和の上に成り立つ。ニコニコ動画は一般化していく中で,「コメントによるコミュニケーションのライブ感」という最大の強みを伝えることを重要視している(関連記事)。一般化しても,人気を支える核となる機能を軸に既存視聴者と新規の視聴者が共存できれば,一般化にともなう独自性の喪失は避けられると考えているためだ。

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 筆者が伝えるニコニコ動画の魅力は,皆にドン引きされてばかりいるわけではない。

 以前,同じくネットをあまり利用しない別の女性の友人に,バーチャル歌手の初音ミクが歌う「ハジメテノオト」という曲を教えたときのことだ。友人は「変わっていく人間と変わらないコンピュータの両面をピュアな視点で表現している」と絶賛した。その後,友人は積極的にネットを活用するようになった。先日も動画のファイル形式に関する質問を受け,あまり詳しくない筆者は返答に窮し,「これはひどい」と言われてしまったほどだ。

 こうした些細なことが入り口となり,これまで受け入れられなかった文化が吸収されることもある。確かに,ニコニコ動画に限らず,Webサービスにおける課題は多い。しかし,こうした一般化に向けた些細な入り口が増え,ネット文化の良い面が広まり,より多くの人たちがこれを享受できれば,独自の文化は日本の文化として根付く。

 日経コミュニケーションでは新コラム「深層」にて,通信業界関連の話題を深掘りする記事を掲載している。12月15日発行号では本コラムのテーマとなった「CGM」を取り上げている。ぜひご一読いただきたい。