2008年12月31日をもって、23年間続けた記者の仕事から退くことになった。この場を借りてご報告する。23年間のうち、ここITproに原稿を書いた期間はざっと7年間ほどである。拙稿を読んで頂いたITpro読者の皆様に御礼を申し上げる。ありがとうございました。

 以下では7年間におけるITpro上の活動を振り返り、それなりの成果と思える点、課題あるいは失敗と思える点をそれぞれ挙げてみたい。私事あるいはITにあまり関係がない内容のコラムは本来『記者のつぶやき』に書き、この『記者の眼』欄には記者らしいコラムを書くべきだが、引退直前でもあり、お許しを請う。

成果その1:読者との対話

 ITproというWebサイトに原稿を書き始めた時、「紙ではやれないことをしてみたい」と漠然と思っていた。公開した原稿に読者からコメントが書き込まれるのを見て、コメントに返事を書く事を思いついた。最初に実践したのが2001年5月の『続・増える「動かないコンピュータ」』であったと思う。自画自賛になるが、この試みは読者からご評価を頂いたので、その後も何度か実践した(例えば『続・みずほ銀行システム障害に見る「動かないコンピュータ」の根本原因』などがある)。

 もっとも極端な実践例が、『読者96人の意見に答える「動かないコンピュータとコンサルタント」問題について』であった。題名の通り、読者96人のコメントにすべて回答を書き、しかも回答を書いていく経緯やかかった時間まで記録した。今、このコラムを読み直すと次のように書いてあった。「特に好きなあるギャグ漫画家の作品に,8ページの漫画を描き上げる間にその作者が吸ったタバコの本数を記録したものがあった。漫画の各コマの中に,描くときに吸ったタバコの本数が分かる絵が描いてあった。面白いというかなんというか,非常に印象に残った。文章でも同じ試みをやったみたいと思っていた。しかし筆者はタバコを吸わない。酒は好きだが,ちょっとでも飲むと文が書けない。そこで今回は,時間を記録してみることにした。一つ回答を書くたびに,時刻を記入していく」。漫画家の名前は書いていなかったが、記者引退を記念して明らかにすると、これは谷岡ヤスジ氏である。

成果その2:後輩と漫才

 読者と対話したら、次は同僚だ、という訳ではないが、後輩記者と会話し、それをWebに掲載する試みもした。例えば、『討論 “SOX”は病原菌か福音か』がある。題名の通り、筆者が嫌いな内部統制の話に関して、内部統制に最も詳しい島田優子記者(日経コンピュータ編集部)に絡んだ様子をそのまま書いた。その後、島田の所に内部統制の世界の方々から、「島田さん、頑張ったね、負けていなかったよ」などと応援の声が寄せられたそうだ。若手とのやり取りを『EnterprisePlatform談話室』という連載に仕立てたこともあった。ただし、厳しい内容にしたためか、談話室を始めてから、若手があまり近づいて来なくなったような気がしてならない。

成果その3:特別番組サイト創り

 ITproにコラムを書いて、色々実験しているうちに、特別番組(特番)サイトを創ってみたくなった。そこで『動かないコンピュータForum』、『Enterprise温故知新』といった番組を公開した。前者は、情報システムを取り巻くトラブルの原因と対策を読者とともに考える企画、後者は日経コンピュータ創刊25周年を記念した番組で、創刊時の記事を掘り出して再掲した。さらに2006年から、「経営とIT」サイトと呼ぶ全社プロジェクトに参画し、EnterprisePlatform経営とIT新潮流と呼ぶ、二つのサイトを開設、両方の編集責任者を務め、「経営とIT」サイト編集長を名乗った。両サイトにおける新しい試みとして、非常に長いインタビュー記事あるいは論文を掲載した。

成果その4:動画

 上述した「経営とIT」サイトのプロジェクトにおいて、動画の製作に関わった。EnterprisePlatformにおける『信頼できるPCを求めて 動画版』と、経営とIT新潮流における『三十代よ、一緒に学ぼう!大前研一動画メッセージ』である。動画を製作してよく分かったのは、大変に手間がかかるということだ。通常の原稿であれば、自分で取材し、文章を書き、誰かが内容を確認し、制作担当者が誌面ないし画面をデザインしてくれれば大体完成する。ところが、動画の場合、4、5人からなる撮影チームが動き、撮った画像をディレクターが編集し、さらに編集画面を関係者全員が確認し、最終的に専門家に依頼して音声や画像を修整する。関わる人数は多いし、時間もかかる。一連の動画の編集作業に立ち会ってスタジオに何度かこもったが、帰宅はいつも夜12時以降になった。