ノートPC(パソコン)はなぜノートと呼ばれるのか。紙のノートブックと同様に,使う時に開き,持ち運ぶ時は閉じておくからだろう。紙のノートと同様に,ノートPCは持ち歩くことが前提の製品であり,それゆえ軽量かつ堅牢に作られている。ノートPCの持ち出しを禁ずるのは,紙のノートの持ち出しを禁ずるのと同様に,馬鹿らしいことである。

 本稿で言いたいことを箇条書きにする。忙しい読者の方も次の段落だけは読んで頂きたい。

  • 持ち歩くことを前提に設計,製造されているノートPCを,情報漏洩の危険があるからと言って持ち出し禁止にするのは,あまりにも勿体ない。
  • 持ち歩いても情報が漏れないように,技術で工夫する必要がある。
  • 同時に,持ち歩く人間が自らをしっかり律すべきである。ノートPCは便利なだけに,いつでもどこでも仕事をする羽目になりかねない。

 2008年9月25日付の本欄に書いた『ノートPCは危険,利用に法規制を』という拙文は,以上の主張を込めたものであった。前半にノートPCが危険であると延々書いたのは,「ノートPCは便利」であること,ただし「自らをしっかり律す」ることができないと「いつでもどこでも仕事をする羽目になりかねない」こと,を表現したかったからだ。当然,「利用に法規制を」という下りは冗談であり,拙文中にもそう書いた。

 ところが,ある方から「ノートPC批判とまともに受け取った読者が多いのではないか」と指摘を受けた。「確かに『以上の拙文はすべて冗談である』と書いてあったが,その文章はかなり後ろにある。忙しい読者は前半しか読まない」と仰るのである。

 そこで忙しい読者に向けて,筆者が言いたかったことを箇条書きでまとめてみた。さらに,メーカーと利用者という「主語」を明確にして書いてみよう。

  • メーカー各社は今後も製品開発に力を入れ,軽く,バッテリーが長時間持ち,高性能かつ使いやすいノートPCを作って,できる限り,適切な価格で提供して欲しい。さらに情報漏洩を防ぐ技術の開発と提供に一層努力して頂きたい。
  • 利用者は,メーカーのエンジニア達がノートPCを一生懸命作っているのだから,それに応えて賢い利用を心懸けたい。情報漏洩があるからノートPCを持ち歩かない,というのは本末転倒であり,愚かしい。といって「便利だからどんどん使おう」と言う態度も賢いとは言えない。便利な技術は利点と欠点を必ず併せ持つ。ノートPCも例外ではない。利用者は自分の責任で,利点を享受し,欠点に注意しなければならない。

 以上で筆者の言いたいことは尽きている。ここから先は,ノートPCの利用に関して,若手記者と電子メールでやり取りした内容を紹介する。『ノートPCは危険,利用に法規制を』という一文を公開した直後,若手からメールが送られてきた。関連する部分を引用する。

 ノートPCのコラムは「あるある」と頷きながら楽しく拝読させていただきました。私も以前,自らを律する事ができずに仕事漬けとなり,「ノートPCは今後絶対に使わない」という決まりにしていました。
 ただ,記者の仕事をしているとそういうわけにもいかず,今の編集部に来て,ノートPCを渡された事もあり,ここ最近,ずるずるとまた仕事漬けになりかけていました。それでも「メールは社内でしか見ない」ルールは今でも貫いています。
 そういう経緯があったので,今回のコラムを読んで,ノートPCとの距離感や仕事の計画立てについて再び考えさせられました。IT担当の記者だけに,プロフェッショナルとしてノートPCと向き合いたいのですが,なかなか難しいです。

 メールを社内でしか見ない,とはなかなか大したものである。筆者の場合,ほぼ毎日,拙宅のパソコンでメールを確認してしまう。たまに見ない日があるが,それは夜12時近くまで事務所にいてメールを読んでいた日に限られる。