「IT人材不足」が叫ばれて久しい。人数面での不足はもちろんだが,能力面での不足も深刻だ。日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)の調査によると,IT人材の能力面で不足を感じている企業の割合はおよそ8割に達するという。ITの適用対象業務が複雑化しているので,それに見合った人材の確保が難しくなるのは当然のことだろう。

 しかし,その対処策として,IT人材の増員や個人レベルの能力向上だけを考えていればいいのだろうか――。最近,ある論文を読んだことがきっかけで,そう感じるようになった。

 その論文の内容を紹介する前に,まずは次の3つの問いについて,あなたの会社・部署の状況を自問してみてほしい。

  • 財務指標や販売状況などについて,競合他社や類似する業界の企業と比較して,その差異をもたらした原因を分析しているか?
  • 期中に部門予算あるいはプロジェクト予算の10%相当の変更が必要になったとき,その実質的な意思決定は部門長あるいはプロジェクト・リーダーに委ねられているか?(したがって上長へは報告のみ)
  • 第一線の社員やパートナー企業は,全社戦略や部門戦略の優先順位について理解しているか?

 これらの問いは,「組織IQ」を測定・分析するためのものである。経営誌「DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー」の9月号に掲載されている「組織IQ論」(早稲田ビジネススクール平野雅章教授著)から引用した。

 「組織IQ(Organizational IQ)」とは,組織を構成する各メンバーの能力とは別に,組織として備えている意思決定などの能力(組織能力)を測る物差しである。仮に組織内の優秀なメンバーがいなくなっても,組織として高い成果を安定して生み出せるような有形無形の仕組み,組織文化などがあれば,「組織能力(組織IQ)」が高いと言う。松下幸之助の言葉を借りれば,「凡夫の力で偉業を成し遂げる」組織となる。組織IQという概念はIT業界ではあまり聞かないが,世界の企業に対する広範なベンチマーク調査により,「企業の業績と組織IQの間には正の相関関係がある」ことが分かっている。

 前置きが長くなるが,組織IQについて,もう少し具体的に説明しておきたい。組織IQには5つの要件があり,前述した3つの問いは,それぞれ個別の要件に関連している。

 1つめの問いは,顧客や競合,技術動向のような外部の状況を的確に読み取る能力を示す「外部情報感度」に関するものだ。2つめは,意思決定プロセスが適切に設計されていて,意思決定のスピードを高められる「効果的な意思決定機構」に関するもの。そして3つめは,あふれる情報の中から自組織に必要なものを取捨選択し,組織としてどう考え,判断し,行動するかを決める「組織フォーカス」の有無を問うている。このほか,組織内で知識を蓄積・共有する「内部知識流通」やカイゼンと同義の「継続的革新」という要件もあるが,前述した3要件が組織IQに直接的な影響を及ぼすのと比べ,内部知識流通と継続的革新は補完的な位置づけになるとしている。

組織IQの高さは,“強いIT部門”の証?

 組織IQという考え方はIT部門にもそのまま適用できるので,IT人材の問題を考えるうえでも有用だと思う。組織IQの考え方にのっとれば,企業(IT部門)の能力は「組織メンバーの資質×組織能力(組織IQ)」で表される。IT業界で悩みの種になっている人材問題では,もっぱら「組織メンバーの資質」を高めることに関心が集まっているが,もう一方の「組織能力」を高めることでも,同様に企業(IT部門)の能力を高められることが分かる。IT人材の確保が難しい状況なら,まだ手付かずの「組織能力の向上」にも目を向けてみてはどうだろうか。

 もちろん,つかみどころがないように思える組織能力を,「どうやったら向上できるのか?」と疑問に思う読者は少なくないだろう。基本的には,組織IQを測る問いに「No」と答えていたものがあれば,それを「Yes」と答えられるよう,意思決定やコミュニケーションの仕組みなどを整備する方向で取り組めばよいという。組織IQを測るための問いは時代によって変わり得るため,公開されている問いはあくまで「質問例」である,との点は気になるが…。

 ところで,筆者にとって,IT部門の能力を高めるために,「まだ手付かずの領域がある」というのは大きな驚きだったが,もう1つ,別の驚きがあった。筆者は過去に,「“強いIT部門”に共通する条件とは何か?」というテーマで,いろいろな企業を取材したことがあるが,結果的には自分が納得できる共通項を見つけられなかった経験がある。“強いIT部門”とは,競争力のあるシステムを生み出し続けている企業のIT部門を指す。各社のIT部門に詳しく話を聞けば,その企業固有の強みは明らかにできるものの,多くの企業に共通するような原則は発見できなかったのである。

 しかし,今,これまでの取材を振り返ってみると,「組織IQの高さが“強いIT部門”に共通する条件なのではないか」という思いが強くなっている。

 例えば,システム構築事例を取材するときには,できるだけ立場の異なる複数の人に取材しているが,あるIT先進企業でシステム化の目的を聞いたところ,経営層,プロジェクト・マネジャ,設計担当者の答えが,判で押したように一致していたことがある。「取材を受けるにあたって口裏を合わせたのか?」と,うがった見方をできないこともないが,そのときの筆者はIT業界の常識に照らして「経営トップのリーダーシップがあるからシステム化の目的が周知徹底され,それが成功につながった」と解釈した。だが,組織IQの視点で見直せば,「この企業は外部情報感度と組織フォーカスの能力が高く,組織内のルールに従ってメンバーそれぞれが考え,判断し,行動している」と解釈できる。そう考えると,同じ組織でも印象が全く違ってくる。

 別のIT先進企業の例では,全社の主要部門の代表者が集まる会議体を新設して,そこで重要なIT投資案件を審議したという。喧々ごうごうの議論の末,期待された成果を上げつつIT投資額を大幅に圧縮できた。この会議体の特徴は,IT投資案件に直接関係しない部門でも,自由に厳しい意見を言えることにある。客観的に検証できる視点を備えている点で,この会議体には妙味があるが,その一方で「他部門のIT投資案件について,よくそこまでの議論ができるなぁ」と不思議に思ったことがある。これも組織IQ的に解釈すると,「同社の組織には部門をまたがる高いコミュニケーション能力や利害の調整能力があり,効果的な意思決定機構を備えている」ということになるだろうか。

 こうやって記憶に強く残っている取材を一つ一つたどっていくと,“強いIT部門”にはいつも高い組織能力が感じられたような気がする。まだ,確信できるほどの材料は持っていないが,組織IQという視点でIT部門をながめてみることの必要性は感じる。

 なお,「組織IQ論」という論文には,「IT投資で伸びる組織,沈む組織」という副題がついている。実証研究を基に,『組織IQが高い企業のグループでは,IT投資額が多い企業ほど利益率が高くなっている。一方で,組織IQが低い企業のグループでは,IT投資額が多くても利益率は高まらず,むしろ多額のIT投資が業績を悪化させている傾向がある』という結論を出している。この点については,著者である平野教授が2007年3月開催の「IT Trend 2007」でも講演しているので,参考にしてもらいたい(関連記事:「“組織IQ”の低い企業によるIT投資は業績悪化を招く」――早稲田大学ビジネススクールの平野教授が実証研究を基に講演)。