明日から始まる北京オリンピック。テレビ中継に加えて,世界で注目されそうなメディアがある。米NBC Universalが北京オリンピック向けWebサイトで提供するライブ・ストリーミング中継だ。この配信サービスには,マイクロソフトが開発したリッチ・インターネット・アプリケーション基盤ソフトの「Silverlight 2」が採用されている(Silverlight 2は現在Beta 2で,正式版は今秋提供開始予定)。
Silverlightの実体は,動画やアニメーションといったリッチ・コンテンツをブラウザで試聴可能にするためのプラグイン・ソフトだ。Windows,Macintoshでコンテンツの閲覧が可能なクロスプラットフォームが特徴で,アドビシステムズが提供するFlash Playerや,Flash Playerの拡張版と言える「AIR(Adobe Integrated Runtime)」と競合するソフトである。マイクロソフトの思惑通り,今回のオリンピックのストリーミング放送によって,Silverlightの普及率が高まれば,アドビが独占している感があるクリエイター市場への足がかりになるだろう。
ようやく足場が固まり始めた
マイクロソフトは2007年夏にデザイン・ツール製品「Microsoft Expression」シリーズを発表し,クリエイター市場に参入した。中でも注目されたのは,リッチ・コンテンツ制作ソフトの「Expression Blend」である。アドビの製品では「Flash」に該当する(現在の最新版は Flash CS3)。ただしExpressionシリーズは,現時点ではまだ普及しているとは言い難い。
Expression Blendで作成するコンテンツの実行基盤となるのは,Windows Vistaに標準搭載されている「Windows Presentation Foundation(WPF)」と,前述の「Silverlight」だ。だが,Windows XPの販売期間延長が相次いだことから想像されるように,Vista向けのアプリケーションを開発する機運はまださほど盛り上がっていない。ブラウザ・プラグインであるSilverlightの普及も,先行するFlash Playerに比べれば,まだまだ及ばない。さらに,Expression BlendでSilverlightアプリケーションの開発が可能になったのが,マイクロソフトが2008年7月に発売した新バージョン「Expression Blend 2」からだという事情もある。
今回のオリンピックの配信サービスによってSilverlightをインストールするユーザーを増やせれば,企業サイトにおけるリッチ・コンテンツ作成などで,Silverlightが採用の選択肢に加わるケースが増えることもありそうだ。また,Silverlight 2のアプリケーションを開発できるExpression Blendの次バージョン「2.5」も年内に提供される予定だ(Blend 2はSilverlight 1.0アプリケーションのみに対応している)。Expressionによるクリエイター市場の開拓に向けて,ようやく足場が固まってきた。
コモディティ化戦略がカギ
もっとも,開発ツールの機能が向上し,基盤ソフトが普及することが,クリエイターたちがそれらを使いたくなるモチベーションに直結するわけではない。例えば,博報堂アイ・スタジオのクリエイティブディレクターである佐野 勝彦氏は筆者の取材に対し,「昔は,Flashが書けなきゃとか,Flashができたらかっこいいよなとか思ってFlashを勉強した」と語っている。すでにFlashがリッチ・コンテンツ市場を席巻している現在,Expressionに対して,クリエイターたちにこうした「かっこいい」といったイメージを持ってもらうことは難しそうだ。
そこで考えられる戦略がコモディティ化である。例えば,アプリケーション開発ツール製品。CP/M時代からTurbo Pascalなどで知られていた米Borland Softwareは,1995年にビジュアル開発ツール「Delphi」を発売し,大きな支持を得た。一方マイクロソフトは,1997年にVisual Basic(VB)5.0を,1998年にVB 6.0を発売してBorlandに対抗。ユーザー層を拡大し,最終的にはVBがWindowsアプリケーション開発ツールにおけるデファクト・スタンダードの地位に納まった。
こうしたコモディティ化戦略をExpressionの場合に当てはめれば,Flashの市場を切り崩すのではなく,これまでクリエイター向けツールには縁がなさそうだった人たちを,いかに取り込んでいくのか,ということになるだろう。そのためには,「経験が少ない人であっても,それなりの質のものを作れる」というハードルの低さと,ツールの高い機能が売りになる。これらはマイクロソフトが得意とするところだ。
ただ,この場合に気になるのが,『MICROSOFT IS DEAD(邦訳:マイクロソフトは死んだ)』の著者であるPaul Graham(ポール・グレアム)氏が,日経コンピュータのインタビューに答えて言った次の言葉だ。「マイクロソフトの独占によって,優秀な人たちが商用ソフトの開発に興味を示さない時期が10年近く続いてしまった。Windowsアプリケーションを開発するのは単純につまらなかったので,優秀な人たちはそっぽを向いていた」(ITpro掲載ページ)。ハードルの低さがあだになって優秀な人が逃げてしまうようではおもしろくない。
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