学校裏サイトなどを舞台とするネットいじめ,秋葉原無差別刺殺事件でも用いられたネット掲示板での犯行予告---インターネットの普及期から指摘され続けているバーチャル空間におけるさまざまな危険性が,より緊急性を帯びて議論されている。

 メディアは頻繁に関連ニュースを取り上げ,国も改正迷惑メール法(特定電子メールの送信の適正化等に関する法律)や青少年ネット規制法(青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律)の施行など,法整備が急ピッチで進められているように映る。

 こうした中,海外でも同様にバーチャル空間における危険性が生み出した事件が,再び話題を集めている。バーチャル空間上での友人のいじめを苦に自殺した少女の話である。

 これはただのネットを舞台とした子供ども同士によるいじめ問題ではない。大人たちが作り出した架空の人物が,実際の子どもを自殺に追い込んだ事件だ。

架空の人物の言動で自殺

 話は2006年10月にさかのぼる。

 当時,ミーガン・マイヤーという米ミズーリ州に住む13歳の少女が,自室で首を吊って自殺した。SNS「MySpace」を介し,恋愛感情を持って同サイト上で接していたジョシュ・エバンズと名乗る少年が突如,マイヤーの悪口を同サイト上に書き込み,罵詈雑語を浴びせるメールを送ってきたためだ。

 マイヤーの死後,エバンズと名乗る少年は,マイヤーの元友人の母親らが作り出した架空の人物であったことが発覚。世論はなりすましによる陰湿ないじめ行為として罪に問うたが,適用できる法律がないとして検察は起訴を断念していた。

 それがこの事件を非難する世論に押される形で一転,2008年5月にこれまで適用外と見られていた不正アクセスなどを規制する既存法でマイヤーの元友人の母親を起訴した。この訴訟がどのような結果に至るかは,今後の判決を待たなければならない。

 この事件に関する各メディアの報道を見ると,長く疑惑が持たれていた被告にいかなる判決が下されるのか,また,本来はハッカーなどに対して適用される法律の拡大解釈が,今後のネット利用者にどのような影響を与えうるか---などが着目されている。

 一方,これに加えて筆者が改めて考えたいのが,このような事件が発生してしまった要因である。そもそも筆者がこの事件を取り上げたのは,ネット上の架空の人物が一人の人間を死に至らしめるという,極めてネット特有の事件であると考えたためだ。

 昨今のバーチャル空間における危険性を問題視する声も,こうしたネット特有の問題についてどのような法整備や防止策を検討すべきかというところに議論の争点がある。そのため,このネット特有でかつ悲惨な事件の発生要因とその防止策について考えてみたい。

事件はなぜ起きたのか

 ネットいじめに詳しい山形大学の加納寛子准教授は,マイヤーの事件が発生した要因は3つあると分析する。

 1つ目は,大人である元友人の母親がネット上における言動のマナーを身に付けていなかった点だ。

 日本では,学校裏サイトなどで展開される子ども同士によるマナーに欠けた書き込みが多数確認できる。しかし,「それ以上に大人による思慮に欠けた書き込みも多数存在することが問題」(加納氏)という。

 本来であれば,子どもたちは大人たちの言動を見ながら成長していく。そこには見習うべき点もあれば,見習うべきではないこともあるだろう。しかし,大前提としてあるのは「子どもが真似するから自粛すべし」という,模範となるべき大人たちの自覚だ。しかし,こうした自覚もなく,思慮に欠けた大人たちの言動がネット上に飛び交えば,それを子どもたちが真似するのは当然だろう。

 さらに加納氏が子どもたちへの影響とともに問題視しているのが,「ネットが普及していない頃に教育を受けた大人たちは,改めて教育を受ける機会がほとんどない」ということだ。ネット上では傍若無人な態度でいられるという一部の自覚なき大人たちは,その態度を改める機会に接することもなく,時には大人同士と同等の厳しい言動で,子どもたちを攻撃してしまうことにもなりかねない。

 2つ目は,助けの手を差し伸べるべき親や教師の目が届かないところで事態が進んでいたという点。保護者の目が行き届く範囲内であれば,助言をしたり,直接介入するということもできただろう。

 リアルの世界では,親たちが子どもたちの最低限の行動把握をしておく監督責任がある。しかし,子どもたちがパソコンや携帯電話からさまざまな外部情報に接しているにもかかわらず,パソコンや携帯電話の通信内容をチェックすることを,子どもの机の引き出しを無許可で開けることのように捉えている親たちが多い。子どもたちのネット上における言動に全く関与しないというのは,最低限のルールを守った上での自由という本来の自由を履き違えた自由を,子どもたちに与えてしまうことになりかねない。また,それでは子どもたちに何かあったときの対処もできない。