6月19日、国政選挙で電子投票を可能とする公職選挙法特例法の改正案が廃案となることが決定した。この法案は当初、自民・公明両党の提案に民主も同意していたことから、昨年秋には成立の見通しだった。しかし、セキュリティ面の課題などを理由に民主党が参議院で反対に回り、継続審議となっていた。

 その後、民主党の提案により、電磁的な投票を行うと同時に投票記録が紙に印字されるVVPAT(Voter Verified Paper Audit Trail方式(以降、VVPAT方式)の採用などの修正を加えて審議されていたようだ。だが、結局法案を提出した自民党内で意思統一が図れずに廃案となったとのことだ。

 筆者は国政選挙への電子投票の導入について、やみくもに反対するわけではない。だが今回に関しては、ひとまず廃案となったことは歓迎すべき状況だと考えている。継続審議だと法案の抜本的な見直しは難しい面もあるが、廃案となったことで、電子投票について議論を深める時間ができたからだ。

利点もあるが、機器の信頼性、運営など検討すべき点は多い

 現在、日本での電子投票は、条例を制定した自治体が地方選においてのみ実施することができる(地方公共団体の議会の議員及び長の選挙に係る電磁的記録式投票機を用いて行う投票方法等の特例に関する法律)。有権者は従来の選挙同様、定められた投票所に出向き、投票機のタッチパネル等の操作で投票を行う。一般的に、電子投票の主な利点は以下の5つが挙げられることが多い。

  1. 開票作業の迅速化
  2. 開票作業のための人件費の削減
  3. 疑問票の解消
  4. 自書が困難な有権者の投票の自由の確保
  5. 不正行為の排除

まず、それぞれについて検証してみたい。

 「1.開票作業の迅速化」と「2.開票作業のための人件費の削減」については、機器の導入コストなどと勘案しての検討が必要だろう。

 印字機能が加わるVVPAT方式の機器を導入すれば、投票機のコストはさらにアップする。また、横浜市などいくつかの自治体が実施したように、投票日当日の夜間ではなく翌日開票を行えば、夜間作業の手当て分のコスト削減ができる。横浜市では3200万円の経費節減と試算している。

 「3.疑問票の解消」については、電子投票の効果は大きそうだ。6月29日に中央大学で開催されたシンポジウム「電子投票の普及に向けて」の講演において、慶應義塾大学法学部の小林良彰教授は「疑問票は一つの都道府県で何万と出てくる。選挙結果を大きく変えるだけの票数だ」「疑問票の判断は全国一律ではない。個々の主観的な判断にゆだねるべきではない」と指摘した。

 もちろん、現在のように投票者が投票用紙に候補者名を書く「自書式」をやめて、記入された候補者名の中からマルを付けるなどして選ぶ「記号式」の投票にするだけでも、疑問票はかなり解消されるはずだ。将来的には電子投票へと進むにせよ、現時点で考えるなら、「記号式+翌日開票」と電子投票との比較検討がもっとあってもよいのではないか。

 「4.自書が困難な有権者の投票の自由の確保」についても、電子投票の利点は大きい。例えば、視覚障害者は現状では代理人に投票用紙に記入してもらう必要があるため、投票の自由が守られていない。アクセシビリティに配慮した機器を導入すれば一人でも投票できるようになる。しかし、このことのみをもって電子投票を全面導入する理由にはならない。投票の自由が守られない障害者のみ投票機での投票を認めるような制度も検討の余地はあるのではないだろうか。

 「5.不正行為の排除」については、現状では電子投票においても十分とは言い難い。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科の武田圭史教授は、「現在の投票機においては、投票、開票時の立会人に相当するような、プログラムの動作を監視する仕組みがない」と指摘する。VVPAT方式ならプログラムの動作を監視できなくても、投票者が自分が投票した候補者名を紙で確認でき、開票結果に疑問が生じれば電子データと紙の投票数を突合せて確認もできる。海外での導入例もある。だが、電子投票を導入するにあたって、はたして本当にVVPAT方式がベストプラクティスなのか、議論は尽くされたのだろうか。

 九州国際大学法学部総合実践法学科の湯淺墾道教授は、今年発表した論文「各国の電子投票制度」の中で、VVPAT方式の課題をはじめ、日本における電子投票の課題についていくつかの指摘をしている。慶大の武田教授は「電子投票の研究には、政治、法律、ユーザーインタフェース、情報セキュリティなど学際的なアプローチが必要だ。一方で、民間では予想される様々なリスクやコストに見合うだけのビジネス上のメリットを短期的に見出すことが難しい分野ということもあり、研究資金は集まりにくい。個人的には、電子投票において、投票時、開票時の『立会人』に相当する役割をどうするかについて、かなり実効性の高い方式のアイデアはあるのだが、これを実現する研究を行う時間とお金と人がないという状況だ」とコメントする。電子投票の研究はまだまだこれからという部分も多そうだ。国のプロジェクトとして研究を進めることを検討してもよいのではないだろうか。研究成果が上がれば、“日本方式”の電子投票を海外に輸出できるかもしれない。

現在の制度は、現場の自治体の負担が大きすぎないか

 ほかにも議論すべき点はある。まず、現状の電子投票の運用の仕組みは、あまりにも現場の自治体に負担が偏りすぎているという指摘がある。

 現在の電子投票法は「地方選において電子投票をやりたい自治体は、条例を作ればやってもいいですよ」というスタンスだ(廃案になった国政選挙対応のための法案も同様だった)。機器の安全性についても、総務省では「電子投票システムの技術的条件に係る適合確認実施要綱」を設けているとはいえ、これはあくまでも機器が条件に適合していることを確認するだけである。

 慶大の小林教授は「現在の制度は、何が起きてもすべて自治体の責任という形になっている。選挙管理委員会の担当者には大変な負担だ。電子投票を実施するための条例を設置している自治体は現在わずか8団体しかない。これはなぜなのか。怖くて手が出せないというのが現状ではないか」と指摘する。過去には投票機のトラブルで選挙無効(岐阜県可児市、2005年7月に最高裁判決で確定)という事態も発生している以上、自治体だけがリスクを負うような制度では、電子投票の導入はなかなか進まないだろう。

 また、小林教授は、高いセキュリティ知識を持つ「専門士による国家資格制度の確立」の必要性も提案している。総務省からは、運用手順などを説明した「電子投票導入の手引き」が公開されているが、あくまでも参考資料にすぎない。今の制度では自治体によって運用レベルに大きなばらつきが出かねない。

 投票機の画面設計の問題もある。「候補者数が多いと一画面で全員を表示しきれないため、2画面目以降の候補者が不利になる」という点だ。候補者の表示順をランダムにする、現状の選挙のように投票場所に候補者名を書いた紙を張りそれを見て投票機で選ぶようにするなど、いくつか方法は考えられそうだが、今後の検討課題といえそうだ。そのほか、投票機を巡る利権を指摘する声もある。

 このように、電子投票についての論点は多岐にわたる。今回私見を述べた部分には異論もあるだろうし、見落としている論点もあるかもしれない。将来はインターネット投票も検討していくことになるだろう。国政選挙に本格導入する前に、もっと研究・議論を深めるべきではないだろうか。

■変更履歴
文中、「電子投票の主な利点は以下の5つが挙げられる」としていたところを「一般的に、電子投票の主な利点は以下の5つが挙げられることが多い」と修正しました。[2008/10/10]