執務席を社員が自由に選べるフリーアドレスは、日本HPや日立製作所などIT(情報技術)ベンダーに採用事例が多い。顧客企業ごとにプロジェクトチームを組み、長時間外出している社員が多いため、社員数よりも少ない数の机と席しか用意しなくても不自由しないからだ。プロジェクト単位で一時的な“島”を形成しやすい点も適している。経営側から見ると、ファシリティーコストを削減できるメリットがある。

 だが、フリーアドレスにネガティブなイメージを抱く人も少なくない。「うちの会社は社員の固定席を削ってでも、経費削減をしたいのか。書類などの荷物はどう保管したらいいのだ」といった具合である。実際、コスト削減を主目的にフリーアドレスの導入に踏み切る企業があるのは確かだ。

 こうした中、フリーアドレスに新たな潮流が生まれつつある。ITベンダーではない企業で、なおかつコスト削減を主目的とせずに、フリーアドレスを採用する企業が増えてきたのだ。DOWAホールディングス(旧・同和鉱業)、ユニクロを展開するファーストリテイリング、ユニ・チャーム、ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)がその一例である。

 業種も規模も歴史も違うこの4社には共通点がある。「部署や役職の壁を気にすることなく社員が気軽に集まり、仕事に役立つ知恵を頻繁に出し合う風土を醸成したい」と経営トップが考え、全社的なフリーアドレスの採用に踏み切ったことだ。かつては、仕切りのない大部屋に多数の部署を入れることで、そんな「ワイガヤ」を生み出そうとする企業が多かった。フリーアドレスでワイガヤの創出を狙ったオフィスを「ワイガヤ職場2.0」と名付けたい。

変わりたくないという自己保存の壁も壊す

 創業120余年、社員数約3900人。典型的な日本の大企業であるDOWAホールディングスは1990年代後半、経営が傾きかけていた。2000億円以上の有利子負債に対し、経常利益はわずか60億円前後のままで伸びない。そんなDOWAを復活させたのは吉川廣和専務(現在は会長兼CEO)だった。

 吉川氏は非公式なプロジェクトチームを作り、事業構造と企業風土を刷新する再建計画を策定。99年11月から実行に移したが、これが功を奏し、2002年3月期から業績が目覚ましく伸び始めた。2008年3月期は売上高4760億円、経常利益450億円に達し、有利子負債もかつての半分まで圧縮できた。以前は鉱山事業や金属製錬事業のイメージが強かった同社だが、この9年間で「環境のDOWA」という認識が広まった。

 企業風土改革の手始めに吉川氏が行ったのは、本社の抜本改革だった。かつての本社はビルの2フロアを使い、約300人が勤務していた。1フロアを返却して床面積を6割に縮小すると同時に、希望退職と配置転換で本社勤務者を3分の2に削減。残った1フロアの中の壁を次々と破壊して大部屋に変え、役員も秘書も一般社員も席を並べて働くようにした。さらに密室での会議や書類を無駄の温床と言い切り、オープンスペースでの頻繁な打ち合わせを推奨した。

 「組織の壁、階層の壁、官僚体質など風土の壁、変わりたくないという自己保存の壁。会社にはびこるそんな無数の見えない壁を破壊するために、まず視界を遮る有形の壁を壊して、改革への強い姿勢を訴えた」と吉川氏は当時を振り返る。

 本社の風土が変われば、波及効果で支社や工場の風土も徐々に変わる。こうして風土改革の手応えを得ていった吉川氏は、2006年3月に本社を秋葉原にある新築ビルの1フロアに移し、フリーアドレスを採用した。全長135mに及ぶ体育館のような広大な1フロアに、持ち株会社と事業会社11社の本社機能を集約、約400人が勤務している。フリーアドレスの採用によって、様々な見えない壁の復活を防ぐ。移転と同時に持ち株会社体制にしたため、異なる事業会社の間に無意味な壁ができないように配慮する仕組みがとりわけ必要だったのだ。

 同じく2006年3月に移転した東京本部で約900人がフリーアドレスを実践するファーストリテイリングも、社員が思いついたらすぐその場で打ち合わせができる環境の構築を狙った。かつての同社には「ワンテーブルミーティング」と呼ぶ習慣があり、ちょっとしたことでも社員が集まって意見を交換し、近くにいる者が部署に関係なくその輪に参加していた。ところが、1999年のフリースブームで快進撃を続けているうちに、企業規模が急拡大し、ベンチャースピリッツがいつの間にか薄れていたのだ。

 ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長はワンテーブルミーティングの習慣こそが同社に急成長をもたらしたと痛感している。そこで、社員が1日中パソコンと向き合っているのではなく、同僚を気軽に席に呼んだり、自分で出向いて行ったりし、その場でワンテーブルミーティングを始められるようなオフィスを作った。「固定席で話をすると周囲の邪魔にならないかと気兼ねするが、フリーアドレスならちょっと横に移ればいいので話がしやすい」と植木俊行総務部長は補足する。
 
 もちろん、フリーアドレスにしただけでワイガヤ風土が醸成されるとは限らない。DOWAもファーストリテイリングもユニ・チャームもGDOも、ワイガヤが生まれるような工夫をいくつも凝らしている。詳しくは「日経情報ストラテジー」2008年8月号の特集記事の中で述べているが、例えば経営トップが「ワイガヤを奨励したいのでフリーアドレスにする」というメッセージを何度も発信すべきだ。コスト削減が主目的だと誤解されては、社内の空気がよどむ。当然、席数にはゆとりが欲しい。座る場所が見つけにくい状態では、ワイガヤをするために気軽に出歩けないからだ。
 
 また、高機能複合機などによって紙の書類を電子化しやすい環境を整え、社内の至る所で無線LANを使えるようにすれば、ノートパソコンを片手に社内を遊牧民のように移住しながら仕事ができる。執務環境を変えることで気分転換を図れ、仕事への集中力が増す社員は少なくないはずだ。

 ただし当然ながら、フリーアドレスは良いことばかりではない。否定的な見方をすれば、(1)周囲に誰が座るかによって人望の差が露呈しやすく、管理職にはつらい、(2)社交的でない人は居心地が悪い、(3)優秀な人は「知恵を借りたい」と頻繁に話しかけられ、多忙を極める、(4)部署の一体感や帰属意識が薄れる、(5)上司の目がないと気が緩み、仕事の質や効率が落ちる、(6)気持ちを休める自分の城がなくなり、疲れている時は追い打ちをかける、などの課題が浮かび上がる。だから、自部署はもちろん他部署の人にまで積極的に知恵を求め、より高度な仕事に挑み続けていこうという姿勢を高く評価する会社でなければ、ワイガヤ目的のフリーアドレスの導入には慎重を期するべきである。

 最後に余談だが、ワイガヤ職場2.0は社内恋愛の活性化にも効果がある――かもしれない。社内の出会いが増えるのは間違いないのだから。