「Eee PC」に代表される小型・低価格ノートパソコンは、日本発で登場すべきだった。こうしたイノベーションを生み出すのに十分な技術力を持ちながら、台湾や米国などの海外勢に先を越されるまで身動きが取れなかったことに、日本のパソコンメーカーの病巣の深さを感じる。2008年6月3日~7日に台湾・台北市で開催された「COMPUTEX TAIPEI 2008」会場で、各社が競って製品発表した最新の小型・低価格ノートに触れ、筆者が感じた印象である。

 改めて書くまでもなく、日本のパソコン業界の技術者たちは、モバイルノートの開発・改良に長年、力を注ぎ続けてきた。シャープの「Mebius MURAMASA」、ソニーの「バイオノート505」、東芝の「dynabook SS」や「Libretto」、富士通の「FMV-BIBLO LOOX」、そして松下電器産業の「レッツノート」など、話題になったモバイルノートは枚挙にいとまがない。

 筆者は昨年、2007年7月9日号の『日経パソコン』誌で「モバイルPC徹底研究」という特集記事を書いた。当時のモバイルノートは、各社が最先端の技術を惜しげもなく投入し、ハイレベルな争いをしていた。例えば、超低電圧版Core 2 Duoの登場や周辺回路の電源制御の厳格化により、一定の処理性能を確保しつつ、(あくまでカタログ値だが)10時間を超えるバッテリー駆動時間を実現。きょう体に用いるマグネシウム合金の薄肉化や炭素繊維の天板への採用、メイン基板の多層・薄型化、0603サイズ(0.6mm×0.3mm)の小型部品の採用、冷陰極管(CCFL)に代わるLEDバックライトの普及、そしてHDDに代わるSSDの搭載など、爪に火を灯すような工夫の積み重ねで性能向上と消費電力の削減、薄型・軽量化を実現していたのだ。筆者はパソコンメーカー各社に取材に赴き、各社の最新モバイルノートに込められた技術について聞き、そのたびに少なからぬ興奮を覚えていた。

 しかし実際には、各社の技術者が魂を込めて世に問うたこれらのモバイルノートは、売り上げという点では芳しい成績を収められていない。電子情報技術産業協会(JEITA)の国内パソコン出荷統計によると、モバイルノートの国内出荷がピークだったのは2005年度で、出荷台数は183万台。その後は出荷台数が減少し、2006年度は144万4000台、2007年度は127万4000台にとどまった。Windows Vista発売前後に国内パソコン市場が全体的に冷え込んだことに加え、個人情報保護の観点から企業ユーザーのモバイルノートの利用が減少したこと、リチウムイオン電池の発火事故が相次いだことにより、個人ユーザーのモバイルノート購買意欲が減退したことが主な原因とみられる。

「ガラパゴスPC」と「インディージョーンズ」

 1年前の記事を読み直して振り返ると、実は先端技術の数々が動作性能の向上やきょう体の薄型・軽量化といった線形的な進化にのみ適用されていたことが分かる。一方、技術の進歩を開発・量産コストの削減に振り向ける意識は持っていたものの、今までの常識を覆す超低価格のパソコンの実現に向けては、ほとんど意識を向けていなかったように思う。自戒を込めて書けば、それはメーカー各社の商品企画担当者や技術者もさることながら、筆者も同じであったと思う。取材をしながら、「先端技術の詰まったモバイルノートだから、20万円を超えるのは当然」と思っていた節があり、各社への取材を通じて小売価格に関する質問をした記憶はほとんどない。

 なぜ、そうだったのか。筆者なりに思いをめぐらせてみた。

 第一に、メーカー各社は長期的なパソコンの単価下落傾向を受け入れられず、当時は単価を戻そうと保守的な姿勢になっていた。とりわけ2006年夏ころから、単価下落に対する業界関係者の危機感は一段と強くなったように思う。2006年夏といえば、Windows Vista発売前の買い控えにパソコン業界が直面し、15.4型液晶を搭載した大手メーカーのスタンダードノートが、15万円を切って売られる光景が頻繁に見られるようになったころである。Eee PCのように単価を大きく引き下げ、数量で稼ぐ手法は既存のパソコン市場の破壊につながりかねない。それゆえ、ドラスティックな判断は避けてきた。しかし結果としては、国内メーカーの代わりに台湾メーカーが引き金を引いたに過ぎず、国内メーカーが避けようとした市場のドラスティックな変革は、やはり訪れたのである。

 第二に、国内メーカーはモバイルノート市場の成長可能性に目をつぶっていた面があるのではないか。国内パソコン市場に占めるモバイルノートの台数ベースの比率は、ここ数年10~15%で推移している。実際の台数は、上述のように百数十万台というレベルである。モバイルノートの海外への輸出量は国内出荷台数の半分程度で、ほとんどのメーカーは国内需要の中で事業の舵取りをしていた。言い換えれば、限られたパイを国内メーカー各社で分け合っていたわけだ。

 限られた出荷台数で採算性を確保するには、大きな冒険はしづらい。多くのメーカーは、単価が高くても購入意欲が減退しづらいビジネスコンシューマーを主な想定ユーザーとして、固定ファンになってもらえる手堅い製品を出し続けてきた。この方針を堅持する限り、事業としてのモバイルノートが大きな失敗をすることはないが、新たな顧客の獲得はほとんど見込めない。Eee PCのように、途上国やライトユーザーの市場を自ら開拓していこうという姿勢は、残念ながら今の国内メーカーからは感じられない。

 第三に、小型・低価格ノートの開発に不可欠な「割り切り」に対する国内メーカーの嫌悪感がある。これまでパソコンは性能が上がるのが当然で、またメーカー間の競争においては仕様表で横並び比較されることが当たり前であった。こうした環境に慣れてしまい、性能の劣る製品を出すことに、恐怖心を抱くようになったのではないだろうか。

 Eee PCが海外で注目され始めた2007年秋~冬ころ、Eee PCについて「評判になっているのは知っているが、性能が低く限られた使い方しかできない製品がどれだけ受け入れられるだろうか――」と見下し、様子見を決め込んでいたメーカーが大半であった。そうこうしているうちにEee PCは飛ぶように売れ、わずか8カ月ほどのうちに、国内のモバイルノート市場に匹敵する150万台を出荷。しかもこの数字は、全世界からの発注に生産が追いつかず、150万台に“とどまった”と表現するのが正しい。国内メーカーの逃した魚は大きい。

 こうして考えると、日本のモバイルノートは世界的な競争のうねりから切り離され、国内市場という限られた環境で、さほど冒険をせずに生き延びてきたように思う。近年、携帯電話業界では海外市場と切り離され独自の進化を遂げた日本市場を皮肉って「ガラパゴスケータイ」と呼んでいるが、モバイルノートの分野も同様に「ガラパゴスPC」とでも言うべき状況になっていたのではないか。これは、性能競争をやめユーザーインタフェースの刷新で成功を収めた「ニンテンドーDS」と、従来のゲーマー層の期待を裏切らぬよう性能・機能強化に腐心し続けた他の携帯ゲーム機をめぐる構図とも重なる。ごく近い分野の示唆に富んだケーススタディーを複数目にしながら、日本のモバイルノート業界はそれを自らの糧とすることができなかった。

 COMPUTEX会期中、台湾アスーステック・コンピューター(ASUSTeK Computer、ASUS) 執行長(CEO)の沈振来氏は、映画「インディージョーンズ」を模した冒険家の衣装で登壇。「今後もイノベーションと冒険を続けていきたい」と胸を張った。世界中の報道機関が集まる会見の場なので、画になる素材を提供するためのパフォーマンスという側面もあろう。それでも、リスクを恐れず先陣を切って新市場を開拓し、結果として約8カ月で150万台という出荷実績を手にしたことは、まさしく冒険家として称えられるべきだろう。

蓄積した数々の技術を、今こそ解き放て

 そしてこの7~8月、ASUSだけでなく複数の台湾メーカーが、雪崩を打って日本市場に小型・低価格ノートを投入してくる。台湾勢だけではない。米ヒューレット・パッカードも「HP 2133 Mini-Note PC」を6月24日に発売、即日完売となった。

 国内メーカーだけしかいなかった「ガラパゴスPC」の小島に、インディージョーンズをはじめ多数の冒険家たちが一挙に足を踏み入れてくるのだ。圧倒的なブランド力の違いがあるとはいえ、日本メーカーが安穏としていられる状況ではない。日本メーカーは、こうした海外勢の攻勢をどのようにして迎え撃つのだろう。同じ土俵で真っ向から勝負を挑むのだろうか。それとも、5万~6万円のレンジでの勝負はあきらめ、彼らと競合しないテリトリーを探しに行くのか。

 現在明らかになっている限りでは、各社がそれぞれ得意としているテリトリーからそう遠くない領域で、海外勢との真っ向勝負を避けた形での商品開発が多いようだ。例えばCOMPUTEXの会場では、松下のAtomを搭載した小型の堅牢ノート「TOUGHBOOK CF-U1」、富士通の「FMV-BIBLO LOOX U」のAtom搭載版、そしてシャープの「WILLCOM D4」が展示されていた。

 日本メーカーは小型・低価格ノート市場で先行者利益を手にする機会を逸してしまったが、それは同時に、新市場の開拓に伴うリスクが軽減されたことも意味する。小型・低価格ノート発売に向けた障壁は低くなったはずだ。過去の「ガラパゴスPC」の意識を捨て、今こそ世界レベルの競争を見据えた商品開発に取り組んで欲しい。そして、これまで各メーカーが蓄積してきた、モバイルノートを輝かす数々の技術を、今こそ思う存分に活躍させてほしいと願うばかりである。