本稿は取材に基づいて客観的事実を伝える報道記事ではなく,谷島個人の考えを書くコラムです。

 妙な書き出しになったが,その理由は後で述べる。ITpro Watcher欄の寄稿者,小飼弾氏が書いた『(6000)人が作ったシステムは必ずどこか壊れている』という文章が5月14日付で公開された。冒頭に「ここで語っておきたいのは,ITproの報道姿勢だ」とあったのでITpro関係者として読んでみると,中身は筆者および拙稿に対する批判と苦言であった。ITproではない場所に書いた記事にも言及されているので,ITproというより筆者の「報道姿勢」が問われていることになる。

 インターネットの面白い所は双方向のやり取りが簡単にできることだと思う。ご意見を寄せてくれた小飼氏にまずお礼を申し上げる。ご指名を受けた以上,すぐにお答えしないといけないと思ったものの,なかなか書けず,今日までかかってしまった。言い訳になるが,小飼氏の言葉遣いが独特であるせいかどうか,ITproに掲載された文章だけでは氏の意図をつかみ切れなかった。もともとは5月13日付で小飼氏のブログに掲載された一文であったので,ブログに付け加えられた書き込みやトラックバックを読んだ結果,小飼氏が立腹している理由が分かってきた。

 以上の経緯があるので,本件に関するブログの全文(同氏の文章とそれに対する人々の意見やコメント,トラックバック)を読んだ筆者の感想文を今回は書く。小飼氏に直接回答する形とは言えないかもしれないが,ご了承頂きたい。

「バグの無いシステムは無い」

 小飼氏は「無謬性」あるいは「無謬性神話」と書いているが,恥ずかしながら筆者はこの意味が分からなかった。手元の辞書をいくつか引いたが出ていない。いくつかのトラックバックを読んでみた結果,「誤りを完全に無くすこと,あるいは誤りがないこと」,そして「その状態を良しとする風潮,その状態が当たり前だと思い込むこと」といった意味であるらしい。ちょっと脱線するが,若い記者が原稿に「××神話」と書いてくることがある。記者を呼んでどういう意味かと聞くと,「××が常態,あるいは定説になっている」という意味だと言う。筆者は,神話はあくまでも神話であり,外の意味に転用するのは良くないと考えるので,記者の原稿から「××神話」は削ることにしている。

 さて,情報システムの開発において,誤りを完全に無くすことは残念ながら不可能である。小飼氏が書いている通り,「何人何人月かけようが,バグは出る」。したがって,ソフトウエアのバグをゼロにしろ,と要求することは間違っていると筆者も思う。実際,それを経営者や利用者に分かってもらおうと,筆者は過去何度かコラムを書いている(参考記事『システムは時には止まる』,『情報は必ず漏れる,システムは必ず止まる』)。これらのコラムはITproではなく,日経ビジネスEXPRESS(現・日経ビジネスオンライン)で公開したものだ。

 だが「バグのないシステムはない」という常識を経営者や利用者に理解してもらうのはなかなか難しい。ある企業の情報システム責任者がこんな話をしてくれたことがあった。

 「システム開発が終盤を迎え,テストに明け暮れる日々になると,見つかるバグの数が段々減っていきます。その推移を示すグラフを作って,経営会議に提出し,ここまで減ってきているので予定通りの期日に新システムを動かします,と報告しますよね。ところが何人か,納得しない役員が出てくるのです。彼らはグラフの線が一番下につくまで,つまりバグがゼロになるまでテストしろ,と主張する。困ってしまいます」。

 こうした役員に,ソフトウエアの複雑性とか,品質とコストと期間のトレードオフ,といった話をしても無駄である。ソフトウエアの特殊性を説明すればするほど,言い訳と受け取られる。「仰る通りにすると期日に間に合いませんが」と言うと「そこを何とかするのが君の仕事だ」と切り返される。分からず屋に対し,システム責任者は大抵の場合,説得を諦め,その場で「分かりました」とひとまず答えてしまう。そしてテスト工数を多少増やしたりはするが,バグがゼロにならない状態で予定通りの期日にシステムを動かす。うまくいけばそれでよし,トラブルが起きた場合は,分らず屋のところに飛んでいって頭を下げる。

 分からず屋が消えてしまえば,システム責任者や現場の苦労はかなり減るだろうが,そういう状態にはまずならない。分からない人に分かってもらうための空しい努力をシステム責任者やエンジニア,そして筆者のようなIT担当記者は続ける必要がある。言い方も相当工夫しなければならない。これまで色々書いてみた経験から言うと「バグの無いソフトは無い」という説明では駄目である。