最近のセキュリティ業界の流行語の1つに「情報中心セキュリティ」というアイデアがある。システムを外部から十重二十重に防御しても,穴を完全に塞ぐのは不可能。それならば「絶対に守りたい情報」だけを守る方が確実ではないか--というのが,情報中心セキュリティの考え方だ。記者は最近,これとソックリなセキュリティ対策が行われるのを間近で目撃した。それは米国時間4月9日にサンフランシスコで開催された「北京オリンピック聖火リレー」である。

 サンフランシスコで行われた聖火リレーの顛末は,多くの読者がご存じだろう。4月9日正午,サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地である「AT&Tパーク」を出発した聖火は,市民や報道陣の目の前から突然姿を消した。そして30分後,当初のコースとは全く異なるサンフランシスコ市役所付近に現れた聖火は,ほとんどの市民の目に触れることなく,街中を走り去った。

 4月12日付けの英「The Economist」誌が「オリンピックの新種目(A new Olympic sport)」と名付けるほどの激しい妨害に遭ったロンドンやパリの聖火リレーとは対照的に,サンフランシスコの聖火リレーでは大きな混乱は起きなかった。ヘリコプターを用意した報道陣ですら混乱したのだから,一般市民がリレーに追いつけるはずがない。

本来のルートで起きていた「抗議デモ」

写真1●本来の聖火リレー・ルートで繰り広げられたチベット支持派のデモ
写真1●本来の聖火リレー・ルートで繰り広げられたチベット支持派のデモ
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 かくしてサンフランシスコの聖火リレーは,無事終了したと言われている。しかし,聖火が人目を避けて街を走り抜けていた丁度その時,「本来の聖火リレー・ルート」である「Embarcadero通り」は大騒ぎになっていた。というのも,車の通行がストップされたその通りは,チベットの自由を訴える数千人にも及ぶ人々の抗議デモによって,埋め尽くされていたからだ(写真1)。

 実は記者は当日,現場にほど近い国際会議施設「モスコーン・センター」で開催されていた「RSA Conference 2008」を抜け出して,「本来のルート」で起きた出来事の一部始終を目撃している。ここに掲載している写真も,記者が現地で撮影したものだ。

 Embarcadero通りには当日,様々な人種からなるサンフランシスコ市民が詰めかけていたが,それ以外にも紅い中国旗を掲げた在米華人の集団が,ダンスなどのパフォーマンスをしながら聖火を待ち望んでいた(写真2)。そんな彼らの目の前を「中国政府は虐殺を止めよ!」などと訴えるデモ集団が,通り抜けていったのである(写真3)。

 それが多くのサンフランシスコ市民が目撃した,「サンフランシスコ聖火リレー」のすべてであった。

写真2●沿道で聖火を待っていた在米華人集団   写真3●沿道で聖火を待っていた在米華人集団
写真2,3●沿道で聖火を待っていた在米華人集団。彼らの目の前をデモが通り過ぎた
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 記者にとって印象深かったのは,チベット支持派デモの規模の大きさと,参加者の多くが非アジア系のサンフランシスコ市民によって占められていたという事実である。チベット支持派のデモというと,亡命チベット人によるものを想像しがちだ。しかし実際には,デモは米国の一般市民によって行われていたのである。だからこそ,デモの規模も大きいのであろう。

 サンフランシスコ市民にチベット支持派が多いのには,歴史的な経緯もあるようだ。日本経済新聞4月20日付けの記事では,1960年代にチベット仏教の思想が「チベット死者の書」を通じて,ヒッピー・コミュニティーに支持されていたと指摘している。サンフランシスコは,そのヒッピー・ムーブメントの中心地であった。

 また1990年代に行われた「チベタン・フリーダム・コンサート」の影響も大きいはずだ。1996年に人気バンド「Beastie Boys」の呼びかけによって開催された同コンサートの第1回は,ここサンフランシスコで,10万人の観客を集めて開催されている(Wikipediaの記述)。

 Beastie Boysのほか,「The Smashing Pumpkins」「Pavement」「Red Hot Chili Peppers」「Rage Against the Machine」「Sonic Youth」「Beck」といった90年代の超人気バンドが一同に介したコンサートだけに,観客が多いのにも頷ける。また,このような大規模コンサートが行われること自体が,サンフランシスコという土地にチベットを支持する風潮があることを示しているだろう。ちなみに,2008年3月2日に上海で行われたコンサートで「チベット!チベット!」と連呼したアイスランドの歌姫ビョークも,この第1回コンサートの出演者であった。

変えざるを得なかったルート

 思うにサンフランシスコ市当局は,市民の間にチベット支持派が多いことを,事前に把握していたのだろう。予定通りに聖火リレーを強行した場合,ロンドンやパリを上回る混乱が生じると判断し,事前に一切公表せずに,聖火リレーのルートを変更したはずだ。現場にいた記者は「聖火リレーは中止になったのか」と思っていたが,実際には聖火は,誰にも祝福されず,また妨害されずに,サンフランシスコを通り過ぎていった。

 一連の騒動を見て記者が思い出したのが,情報セキュリティ業界で最近よく言われる「情報中心セキュリティ」という考え方である。今回,サンフランシスコ市当局が行ったのは,紛れもなく「聖火中心セキュリティ」であった。沿道をどれだけ防御しても,混乱は避けられない。だからこそ,「聖火が街の中を走った」という事実作りを優先して,聖火のルート自体を変えてしまったのだ。

写真4●観光名所「フェリー・ビルディング」近くでにらみ合うチベット支持派と在米華人集団
写真4●観光名所「フェリー・ビルディング」近くでにらみ合うチベット支持派と在米華人集団
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 なお,チベット支持派や在米華人の名誉のために付け加えておくと,記者が見た範囲では,両者がにらみ合う場面はあっても(写真4),暴力行為は見られなかった。その点でも,サンフランシスコ市当局のセキュリティ対策は,うまくいったのではないかと感じている。

 セキュリティで大切なのは,「諦めること」であり「割り切ることである」--。サンフランシスコ市当局の対応が,正しいことかどうかは分からない。それでも市当局の対応から記者は,セキュリティにとって大切なものが何かを,学んだように感じている。