管理だけでは信頼できない

 攻めと守りが両方必要,ということは情報システムそのものにも,システムを支える要素技術についても当てはまる。例えば,企業内のパソコンとその情報を守るために,がちがちのセキュリティ管理をしてしまうと,利用者にとっては明らかに使いにくくなる。ノートパソコンの持ち出しを禁止したくなる企業の気持ちはよく分かるが,それでは何のためにノートパソコンを採用したのか,分からなくなる。クライアント機から,フロッピーやディスクドライブを取り去り,USBメモリーを挿入不能にする気持ちもまたよく分かるが,やり過ぎると何のために高性能のパソコンを採用したのか,分からなくなる。この辺りの課題を考えるため,専門家に寄稿を依頼し,EnterprisePlatformという特番サイトにおいて「信頼できるPCを求めて」という連載をこの1月から始めた。

 様々な要素技術に,アプリケーション・ソフトという厄介極まりないものが合体した,いわゆる企業の情報システムを「信頼できる」ように持っていくのは,さらに面倒である。止まらないシステムというだけでは,信頼できるとは言い難い。この辺りについては,まもなく発行される日経コンピュータ2月1日号に「信頼できるシステムを求めて」と題した小文で説明した。同一テーマで色々な場所に書き散らしている格好になって恐縮だが,ITproにおいても手を変え品を変え,原稿を書いていこうと思っている。

 ところで企業や団体においても,その中にある組織においても,そこで生み出される製品やサービスにおいても,その際に利用する情報システムにおいても,信頼を維持できるかどうかは,そこに関わる人次第である。極めて当たり前だが「信頼できる」人が求められるわけで,オープンソースやインターネットの世界において「信頼できる」は重要語の一つとなっている。

 信頼できる人とは,積極的に行動し成果を上げる攻めの姿勢と,法・規則や約束を守る姿勢を両立できる人になるが,そうなるのは難しいことであり,書きながら省みて,いささか憂鬱になってくる。書き続けるために自分のことは棚上げし,先日拝聴できた,ある対談に触れて締めくくりとしたい。

まつもと・梅田対談の厳しい内容

 その対談とは,まつもとゆきひろ氏と梅田望夫氏によるものである。昨年,EnterprisePlatformに「梅田望夫×まつもとゆきひろ対談 ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」と題されたお二人の対談を掲載し,大変好評を得た。対談したお二人の間でも「また話しましょう」ということになり,第2回目が先日行われた。もともとこの対談は,ITproでオープンソースやRubyについて長年記事を書いている高橋信頼ITpro副編集長と梅田氏の共同発案で実施された。梅田氏が高橋信頼を信頼して始まった,と書くと読みにくいが,経緯はそういうことである。つまり,高橋の企画なのだが,先輩の立場を乱用し,2回目の対談に同席させてもらった。対談内容は高橋がまとめ,追って公開するので本稿では触れず,「信頼できる」に関することを書く。

 両者の第1回目の対談で基調となっていのは「信頼」であった。梅田氏は,オープンソースやインターネットの世界にある「信頼」の姿勢に共感を示し,そこに将来を見ており,まつもと氏は,技術者に幸せをもたらす,という共通の夢で信頼関係を持った人達によるRubyコミュニティの活動について語っていた。

 第1回目の対談を読み終えて筆者が思ったのは,「これは厳しい世界だ」ということであった。お互いの実力を認め合って協力する,と書くと麗しいが,それは実力がものをいう世界になる。梅田氏の近著『ウェブ社会をゆく いかに働き,いかに学ぶか』を読むと,そこにも大変厳しいことが書かれている。梅田氏は同書の冒頭で,前著『ウェブ進化論』の「出版以来,オプティミズムを貫く私の姿勢はずいぶん批判を受けた」と記しているが,オプティミズムを貫くには相当な強さが必要である。

 『ウェブ社会をゆく』の同じく冒頭に梅田氏は,「フロンティアを前にしたときの精神的な構え」について6点を列挙している。詳しくは同書にあたって頂きたいが,「個」としての精神的自立,自助の精神,パブリックな意識,などが含まれる。梅田氏はさらりと書いているが,これらの「精神的な構え」をとれるようにするのは難事であって,大げさに書くなら,明治以降の日本近代化における最大の問題である。

 一方,まつもと氏は1回目の対談を「好きなことを貫いています」という姿勢で通していた。温厚そうな風貌と語り口,「技術者の幸せ」という素晴らしい言葉を見聞きすると,オプティミズムそのものだが,ちょっと考えれば分かるように,精神的自立と自助の精神,パブリックな意識を持っていないと成し得ないわけで,実に厳しい道を歩んでいることになる。

 身もふたもない話,普段は上司や取引先に不満を抱きながら言われる通りに仕事をし,休日は仕事のことを一切忘れて楽しみを追求する,他人に要求はするが自分からは何もしない,という姿勢をとるほうが楽である。念のために書いておくと,後者の姿勢を非難する立場に筆者はない。ただ,梅田氏とまつもと氏が語っていること,やっていることが,困難かつ厳しい生き方であり,どうやったらそうできるのかを考えたいと思っている。これが,第2回目の対談に入れて欲しいと高橋に圧力をかけた大きな理由であった。