「近年、企業の経営において『選択と集中』の重要性が唱えられていますが、実はこの言葉は同じ意味を二度繰り返しているだけ。真に必要なのは『選択と捨象』です。捨てることこそが戦略なのです」。

 10月中旬、製造業向けのあるセミナーでキーノート・スピーカーを務めた、旧産業再生機構代表取締役専務の冨山和彦氏はこう喝破した。冨山氏が再生を手がけた企業の多くは、経営者が不採算事業を「捨てる」決断ができないまま、赤字が膨らみ、存続不能になった。

 とはいえ、「『捨てる』ことを決断できる経営者はまれ。周囲の信望が厚い経営者ほど、誰かにうらみを買う決断には踏み切れない。だから僕たちのような外部の人間が、痛みを伴う意思決定をする必要があった」(冨山氏)。

 冨山氏はこう締めくくった。「経営者という仕事には、自らの選択によって、自分を愛してくれた人につらい思いをさせる覚悟が伴う。胆力が必要です」。冨山氏は産業再生機構の解散後も、経営共創基盤(東京都千代田区)を設立し、人材を投入して企業の持続的成長を支援する事業に取り組んでいる。

「もう東京にはいられない」。オンリーワンになろうと北海道へ移転

 とある企業が、3年前に「捨てる」決断をして活路を見いだした。その企業とは、今や日本中の関心を集める北海道日本ハムファイターズ。同社は2004年に本拠地を東京ドームから札幌ドームへと移し、東京を「捨てる」決断に踏み切った。

 2006年には44年ぶりに日本一の座を得た。今年もリーグ優勝とクライマックスシリーズを連覇し、日本シリーズに臨む。観客動員数が増えて球団経営の収支も改善し、移転以降、すべてが順風満帆に運んでいるように見える。

 だが、東京を捨てる決断をするまでには、大社(おおこそ)啓二代表取締役オーナーは大いに悩んだという。観客は少なく、球団の収支は赤字続き。メディアでの露出度も12球団中下から1、2位。しかも、フジテレビがヤクルトに、TBSが横浜に資本参加するなど地上波の放送局と球団の結び付きが強まるなかで、ますますメディアからの優先順位が下がる恐れがあった。「もう東京にはいられない。出て行かざるを得なかったのです」と大社オーナーは振り返る。

 東京という大都市圏の中心を拠点とすることは、広告宣伝の面では絶対に有利だった。ベテランの球団スタッフのなかには、年齢的に札幌について来られない人も少なからずいた。「何より、長年ファイターズを支えてくれたファンがいました。この30年間で1回しかリーグ優勝できなかったのに、ずっと応援してくれたファンから離れるのかと」。こうした思いにさいなまれながら、大社オーナーは札幌への移転を決断した。「関東では6球団の1つだが、北海道ではオンリーワンになれる。とにかくプラス思考で考えました」

 「捨てる」一方で、「選択」にも取り掛かった。企業理念や「ファンサービス・ファースト」という戦略の明文化、ゼネラル・マネジャー(GM)と監督の職務分掌、選手に関するあらゆるデータを網羅したデータベースの構築。従来の日本ハムファイターズはもとより、日本のプロ球界でもあまり例がないこうした制度や仕組みを選び取って、北海道日本ハムファイターズという新たな球団を作り上げていった。

 常勝監督やスター選手に「来てもらう」のではなく、「我々がチームスタイルを定義し、チームを作ったうえで、一番適した監督や選手を我々が『選ぶ』のです」。こうした大社オーナーの明確な方針が、戦力の強化に加えて、ファンの獲得などの面でも大きな成果を生み出した。10月27日から始まる日本シリーズで、全国の野球ファンがこの成果を目の当たりにすることになるのだろう。

 日経情報ストラテジー12月号の創刊15周年総力特集「激動時代の競争戦略」では、大社オーナーをはじめ多くの経営者の「選択と捨象」に迫った。憎まれることも辞さず、何かを捨て何かを選んだ経営者の、胆力と決断を、お伝えしている。