130台以上のメインフレームで動作する合計1億ステップのアプリケーションに4万3000人月の修整を施す巨大プロジェクトの切り替えが、10月1日に迫っている。郵政民営・分社化に伴うシステム対応だ。2004年から2005年にかけて、開発が間に合うかどうかが政治問題になるなど世間の注目を集めたが、それから2年強の開発期間を経て、いよいよ稼働を迎えようとしている。

 このシステム開発プロジェクトには、開発規模の大きさや開発期間の短さに加えて、注目すべき特徴がもう1つある。経歴やシステム化のポリシー、問題の対処方法などが全く異なる2人のCIO(最高情報責任者)がプロジェクトを牽引したことだ。

 2人の名は、吉本和彦氏と間瀬朝久氏。共に肩書きは理事常務執行役員である。管轄する主なシステムは、吉本氏が郵便、会計、ネットワークだ。間瀬氏が貯金、保険、人事である。

吉本氏は銀行時代のトラブル収拾の経験を買われ助っ人に

 吉本氏は旧富士銀行出身。みずほ銀行の常務執行役員まで務めた経歴の持ち主である。2002年4月にみずほ銀で発生したシステム統合のトラブル後は、実質的なCIOとして障害の立て直しなどを推進した。2001年9月11日の米国同時多発テロ、1995年1月17日の阪神大震災などの際にも、システム責任者を務めていた。

 これらのトラブル経験から、システムを安定稼働させるには、あらゆるリスクを想定し、万全な準備をしなければならないとの考えを確立している。「テストが足りなければ稼働は延期すべき」など、トラブル防止のためには一切妥協をしない。銀行が監督官庁である金融庁の厳しい管理下に置かれていたのも少なからず影響している。

 このようなリスク管理に対する吉本氏の姿勢を評価したのが、郵政公社の生田正治前総裁(現商船三井相談役)だった。生田氏の熱心な誘いを受け、吉本氏は2006年4月に日本郵政公社の理事に就任した。いわば助っ人として、民営・分社化システム対応の途中から、プロジェクトに加わった格好だ。

間瀬氏は高卒後、郵便局員を経てIT部門に40年

 一方の間瀬氏は、岐阜県の高等学校卒業後、1965年に郵便局員として郵政省(当時)に入省した生え抜きの郵政マンだ。転用試験を受け本社に異動したのがきっかけとなり、以後40年にわたって、日本最大のオンライン・システムである貯金システムを現場の第一線で支えてきた。

 1978年には初代オンライン・システムの完成を体験。以降ほぼ8年おきに更改を迎える貯金システムの全面刷新プロジェクトを現場で率いた。たいていのIT部員が数年間の勤務を経て現場に戻る人事異動を繰り返すなか、いつの日か間瀬氏は、初代オンラインの開発を経験した唯一の現役IT部員となった。年々システムの運転時間が拡大し、大規模な切り替え作業ができるのは年末年始ぐらいとなるにつれて、正月は毎年データセンターで過ごす勤務習慣が染み付いた。

 貯金システムの開発・運用現場の主に過ぎなかった間瀬氏に転機が訪れたのは、2004年7月のこと。日本銀行からアクセンチュアを経て郵政公社のCIO(当時)を務めていた山下泉理事総裁代理執行役員が、間瀬氏の人望の厚さに目を付け、執行役員金融総本部情報システム本部長に抜擢したのだ。キャリア組の上司を追い抜く異例の昇進だった。

 そこから、間瀬氏は守備範囲を保険システムにも拡大。2005年4月には、ノン・キャリアとして初めて、民間企業の取締役に相当する理事に就任した。民営・分社化のシステム対応プロジェクトは、2005年10月に郵政民営化法が成立する前の準備段階から率いてきた。

ベンダーの社長に直談判する吉本氏、現場の技術者に話しかける間瀬氏

 このような経歴の違いからか、プロジェクトの局面において2人が取る行動は異なる。特に大きな問題が起きるなどの非常時に、その差は顕著に表れる。

 例えば吉本氏は、2006年4月の着任直後、SAPジャパンのERP(統合基幹業務システム)パッケージ「R/3」を全面導入するプロジェクトが難航していると知ると、すぐドイツに飛んで独SAPのヘニング・カガーマンCEOを訪問。プロジェクト支援強化の約束を取り付けた。

 全面再構築に臨んでいたプロジェクトで、新システムにアーキテクチャ上の問題が見つかった際は、担当ベンダーの1社である日立製作所の古川一夫社長のところに駆け込んで、全面支援を要請した。民間企業出身者ならではの行動力と言える。

 一方の間瀬氏は、問題発生を知ると真っ先に開発現場に駆けつける。現在は日本オラクルの製品となったERPパッケージ「PeopleSoft」を全面導入するプロジェクトが遅れていることが分かると、プロジェクト・メンバーのところに自ら出向き、状況の把握に努めた。部下のIT部員だけでなくITベンダーからも、何が問題なのか、原因はどこにあるのかを、じっくりと聞きだす。決して責めたりはしない。メンバーが本音で話せるように、最大限の配慮をする。