恥ずかしながら記者には,記事を公開してしばらく経ってから,そのニュースの重要性を思い知らされることがある。6月に米国で開催された「TechEd」に参加して執筆した「『もうビジョンは語らない』,沈黙し始めたMicrosoft」という記事が,正にそうだった。

 この記事は,Microsoftサーバー&ツール・ビジネス部門担当のSenior Vice PresidentであるBob Muglia氏によるTechEd基調講演を聞いた上で執筆したもの。普段,カンファレンスの基調講演の記事は,その講演で発表されたニュースを中心に執筆する。しかしこの基調講演では,ニュースの発表が全く無かった。困り果てた記者は「ニュースが無いことがニュースなのだろう」と判断し,講演で最も印象に残った「(実現できもしない)将来の『ビジョン』を語るのはもう止める。システム管理者の日常業務をすぐに改善できる『プラン』だけをお話しする」というMuglia氏の発言を中心に,記事を執筆したのだった。

 ところが7月に入って,記者はこの記事の持つ「意味」を,痛感することになった。記者は7月,次期サーバーOS「Windows Server 2008」の評判を聞くために,複数のシステム・インテグレータを取材した。取材に応じて下さったのは,既にWindows Server 2008の評価を開始している各社選りすぐりのWindows技術者の方ばかりなのだが,彼らの多くが,「Microsoftがビジョンを語らなくなった」ことを重く受け止めていたのだ。

 筆者にとって嬉しい驚きだったのは,こちらから話題を振らなくても,彼らの方から「もうMicrosoftはビジョンを語らないそうですし…」といった具合に,このことに言及して下さったことだ。記者冥利に尽きる瞬間だった。

 しかしそれ以上に驚いたのは,多くのWindows技術者が,Microsoftの描くビジョンに大きな期待を持っていた,という事実だった。ある方は「われわれデベロッパーがMicrosoftについていったのは,そこにビジョンがあったから。ビジョンが無いMicrosoftは,Microsoftではない」と嘆いた。彼らがMicrosoftから,製品だけではなく夢も買っていたことに,改めて気付かされたのだ。

 一方で,彼らが「現状のMicrosoft」に高い評価を下しているのも印象的だった。「ビジョンが無いMicrosoftは,Microsoftではない」と嘆いた開発者も,「Windows Server 2008のベータ3は完成度が非常に高い。このまま製品版としてリリースしてもよいと思ったほどだ」と語る。他社の技術者も「『Windows Server 2003 R2』の段階で,サーバーOSとしての品質は極めて高まった。数年前までは,弊社からMicrosoftに対してOSのバグ修正を依頼する件数が,年間を通じて2ケタ以上あったものだ。しかし,最近1年間で見ると,OSのバグ修正を依頼した件数は,片手で数えられるほどまでに減少した」と証言する。

 「Longhorn」の開発を停止して,すべてのコードを見直したという「Trustworthy Computing」宣言以降,Microsoft製品の品質はそれまでと比べて大幅に高まった。特に2005年以降に出荷された「Windows Server 2003 R2」や「SQL Server 2005」で,品質改善は顕著だ。出荷から1年半が経過したSQL Server 2005には,いまだにセキュリティ・ホールが見つかっていない。

 「ビジョン」と「品質」がトレード・オフの関係にあってよいとは思わない(ビジョンがあれば品質が低くてよい,というわけではない)。それでも,品質を高めていく取り組みの中でビジョンが失われていくのは,無理からぬ話だと思う。世の中を見渡せば,語るべきビジョンの無い企業の方が多数派だからだ。Microsoftも普通の企業になったということだろう。

ビジョンではなく製品で夢を語る

 「ビジョンが無いMicrosoftは,Microsoftではない」という声に対して,当のMicrosoftはどう答えるのであろうか。先日,マイクロソフト日本法人の最高技術責任者(CTO)である加治佐俊一氏に,この問題を尋ねる機会があったので,氏の見解を紹介したい。

 加治佐氏は「これからは,ビジョンではなく製品で夢を語る」と言う。「Windows Vista(開発コード名:Longhorn)の出荷まで,技術的に5年間の空白があったが,それ以降は製品のリリース・スケジュールはむしろ早まっている。かつては,製品のリリースまで間があったので,ビジョンを語るしかなかった。今はむしろ,作った製品はすぐに評価版として公開して,技術者のフィードバックを得るようにしているし,Microsoftの技術者がブログなどで,自分の考えを率直に公開するようにしている」(加治佐氏)。Webアプリケーション技術の「Silverlight」は,「ビジョンを語る前に技術を公開している」ものの代表例であり,今後も新しい技術は,形が見えたらすぐに公開して,フィードバックを求めるようにしていくという。

 「Longhornが本当に出荷できるのか,社内の人間でさえ不安に思っていた2年前に比べれば,今の現場の雰囲気は非常に明るい」と加治佐氏は強調する。記者としても,自分の記事が,Microsoftから夢を買っていた方々に対する「終止符」になってしまうのであれば,それは少し寂しい。夢を語る代わりに品質が下がるようでは困るが,Microsoftが多くの技術者の期待を背負っているということを,同社には改めて意識してもらいたいと感じた。