「新型インフルエンザ」という感染症をご存知だろうか。新型インフルエンザとは、人から人に感染するタイプに変異した新しいインフルエンザウイルスのこと。人は、新型インフルエンザに対する免疫を持っていないため、新型インフルエンザが出現すると、世界的な大流行(パンデミック)が起こると考えられている。

 新型インフルエンザは過去、およそ10年から40年の周期で発生・大流行している。20世紀には、3回発生した。このうち、被害が最大だったのは1918年に発生した「スペインインフルエンザ」(スペインかぜ)で、世界中で約4000万人、国内で約39万人が死亡した。

 ここ数年、東南アジアを中心に、鳥類の感染症である「鳥インフルエンザ」が猛威を振るっている。また、本来は人に感染しにくい鳥インフルエンザの感染者が増加。WHO(世界保健機関)の調べでは、2007年7月25日時点で319人が感染して192人が死亡しており、鳥インフルエンザの変異による新型インフルエンザの発生が懸念されている。

国内で最大2500万人が新型インフルエンザに感染

 国は、新型インフルエンザが発生した場合の被害想定を算出している。これによると、感染者数は全人口の25%、医療機関への受診者数は1300万~2500万人、入院者数は53万~200万人、死亡者数は17万~64万人となっている。こうした状況を受けて国は、大規模施設への活動自粛勧告や、医療従事者などへのワクチンの優先接種などを規定した「新型インフルエンザ対策行動計画」(再改定版)を2007年3月に発表。同時期に国の専門家会議が「対策ガイドライン」をまとめている(関連サイト)。この対策ガイドラインでは、市区町村の役割として、抗インフルエンザウイルス薬「タミフル」の予防投薬、臨時休校などと並んで、インターネットなどを利用した住民への情報提供を定めている。

 このところ、全国の自治体は、Webサイトでの防災情報の提供など、インターネットを利用した防災対策に力を入れている。日経パソコンは毎年、アンケート調査を基に、全国の市区町村の情報化進展度を比較する「e都市ランキング」を発表している。2007年の調査結果では、54.1%の自治体がWebサイトで防災情報を提供。メールを利用した防災情報の配信も26.2%の自治体が取り組んでいる。ただ、現状では市区町村の新型インフルエンザ対策は進んでいない。新型インフルエンザに関する情報をWebサイトに掲載している自治体は9.1%、発生時の行動計画を掲載している自治体は2.5%にとどまっている。

 こうした事実を踏まえて、Webサイトやメールを利用した自治体の新型インフルエンザ対策について考えてみたい。新型インフルエンザ対策でインターネットが果たし得る役割と効果は、台風や地震などの自然災害よりも大きいのではないだろうか。また、自治体のWebサイトやメールは、放送や新聞などのメディアにできない情報提供が可能だと考えられる。

 理由は大きく3つある。第1は、被害発生時のインフラの状況だ。台風や地震の場合、停電や通信設備の損壊、住民の避難などにより、被害の大きな地域では、パソコンや携帯電話で情報やサービスを利用することが困難になりがちだ。これに対して、新型インフルエンザ発生の場合には、電力や通信などの最低限度の社会インフラは維持される可能性が高い。国の行動計画では、電気、通信、交通、水道などの社会インフラを維持するために、これらの関係者である「社会機能維持者」には、優先的に予防投薬やワクチン接種を実施することを定めている。

 第2は、特定の地域に向けた迅速な情報発信が容易なことだ。特定の地域で感染者の発生が見込まれる、または感染者が発生している状況では、その地域では、住民の診断、治療などを実施する臨時の受診拠点などを整備する。自治体は、感染の広がりを防ぐために状況に応じて、住民に対する予防投薬、臨時休校、大規模施設の活動自粛勧告、住民に対する自宅待機要請などを実施する。これらの状況は刻々と変化するので、自治体は住民に対して、各地域に応じた最新情報を迅速に提供する必要がある。自治体のWebサイトを利用すれば、必要な情報を素早く公開することが可能になる。また、事前に登録しておいた情報を基に、パソコンや携帯電話に向けてメールで情報を発信することもできる。

 第3は、住民が家庭で情報を受発信できることだ。新型インフルエンザ感染が広がりつつある状況では、感染の可能性を低くするために、住民の自宅待機が有効とされている。国の専門家会議がまとめた対策ガイドラインでは、新型インフルエンザ発生時には、個人や家庭に対して、不要不急の外出を差し控えるよう要請。このために、2週間程度の食料、日用品の備蓄を勧めている。また、町内会や自治会などのコミュニティによる物資配達なども想定している。インターネットは、家庭内から情報の受発信ができる通信手段として、電話と並ぶ存在だ。自治体やコミュニティが各家庭の状況を把握できるように、インターネット経由でアクセスできるデータベースを整備するといった取り組みも有効だろう。

 感染症対策へのインターネットの活用は、新型インフルエンザ以外でも考えられる。2007年の4月から6月にかけて、全国ではしか(麻疹)が流行し、小中高等学校や大学などの臨時休校が相次いだ。また、需要が急増したワクチンや抗体検査薬の不足も問題となった。北海道小樽市保健所は、感染症に関する情報を提供するWebサイト「感染症危機ネット」を2006年12月に開設。全国ではしかが流行した時期には、市内の患者発生状況、病院でのワクチンや抗体検査薬の在庫状況などをWebサイトで速報した。小樽市保健所は、新型インフルエンザ対策にも積極的だ。2007年5月には、市民向けの対策ガイドラインを公表している。

課題は情報の内容だけではない

 もっとも、先ほど紹介したように、Webサイトやメールを感染症対策に生かしている自治体は少ない。また、提供している情報の内容も不十分だ。新型インフルエンザの簡単な紹介や行動計画の概要を記載している程度で、住民の準備や行動に役立つ具体的な情報は少ない。さらに、Webページのアクセシビリティ(アクセスの容易さ)に難がある自治体も目立つ。

 自治体のWebサイトは、障害者や高齢者などを含むさまざまな利用者に配慮するアクセシビリティ対策が必要だ。例えば、画像に対して、その内容を説明する「代替テキスト」(alt属性)を設定していれば、視覚障害者などが音声読み上げソフトを使ってWebページの内容を把握するのが容易になる。また、文字の大きさをWebブラウザーの設定で変えられるようにしておけば、高齢者も情報を入手しやすい。ページの内容を適切に示すタイトルを<TITLE>タグで記載しておけば、検索エンジンで情報を見つけるのが容易になる。

 十分とはいえないものの、ここ数年、自治体のWebサイトは、こうしたアクセシビリティ対策が徐々に進みつつある。ところが、主要なWebページではアクセシビリティへの配慮が見られるにも関わらず、新型インフルエンザに関する情報を記載しているページでは、アクセシビリティへの配慮が欠けているという自治体サイトが少なくない。

 これは、自治体の中である程度の独立性を持っている保健所が、自治体の新型インフルエンザ対策の中心組織となっているため。独立性の高い組織であるが故に、自治体サイトの主要ページとは異なり、アクセシビリティ対策の知識や経験が乏しい保健所の担当者が、保健所のWebページを作成しているからだ。同様の傾向は、教育委員会や議会のWebページでも見られる。

 感染症対策は、保健所、病院、学校、消防など、関係する機関が多い。経験がない新型インフルエンザの場合は、どの機関が何をするのかはっきりしていないという難しさもある。国が想定しているように、大規模施設への活動自粛勧告や、一部の人へのワクチンの優先接種などが始まると、市民生活に大きな支障や混乱が生じる可能性もある。有効な対策を打ち出すには、住民を含む関係者がリスク情報を共有して合意形成を図る「リスクコミュニケーション」が不可欠だ。

 このように、課題や難しさが山積しているものの、新型インフルエンザ対策を進める上で、適切で迅速な情報発信など、自治体のWebサイトにできることは多くある。事前の取り組みによって、いざという時に、多くの人命が救えるはずだ。そのために役立つ情報の提供を、これからも続けていきたい。