人材派遣会社のリクルートスタッフィングで、ITや金融などの企業向けに専門スタッフを派遣するプロフェッショナルスタッフィングディビジョンでは、半期に一度、「ベスプラ!」と呼ぶ業務ナレッジのコンテストをしています。各社員が独自に編み出した優れた業務スキルを出し合い、優秀賞にはちょっとした賞金が出るというもの。仕事にイベント性を持たせ、社員を盛り上げるのが得意なリクルートグループらしい取り組みです。

 以前は、各社員が提出したエントリーシートを、マネジャー層が評価して優秀賞などを決めていましたが、2006年からは、社員による投票で選出する仕組みに変えました。以前のやり方では、マネジャー目線で実績が重視され、「大口案件を成約したノウハウ」などに票が集まりがちだったのを、社員による互選にすることで「自分もすぐに真似できるスキル」の共有を推進しようと考えたからです。2006年末に実施された第2回の「ベスプラ!」では「時間・タスク管理手法」がダントツの得票数で最優秀賞に輝きました。

 この手法は、月間と週間の2つのカレンダーと、毎日の業務を整理するタスクリストという3枚の紙だけで、仕事の予定や進ちょくを把握し、目標達成のために効率的な行動を取れるようにするもの。「絶対成約できる営業トーク」や「相手をうならせるプレゼン術」などを押さえて、このスキルが絶対多数の支持を得たのは、急成長する人材派遣業界で、毎日大量の仕事に追われる社員の悩みの裏返しでもあるようです。

 「遅くまで残業をしても仕事が終わらず、どんどん積み上がっていく。そのプレッシャーに悩んで、仕事の面白さも分からないままに会社を去る後輩もいた。こうした人たちに、『ちょっとしたポイントを押さえれば同じ時間内でたくさんの仕事をこなせるようになる。そうすれば仕事も面白くなるんだよ』と伝えたかった」。件の手法の提案者であるITスタッフィング部営業3課の村井麻香チーフはこう話します。自身も数年前に営業職に異動し、残業の多さに悩んだ経験から、試行錯誤を重ねながら時間管理の手法をブラッシュアップしてきました。今では業績優秀表彰の常連でありながら、休暇もしっかり取り、趣味の旅行などを楽しんでいるそうです。「ベスプラ!」で最優秀賞を取った後は、ほかの部門から勉強会の依頼なども殺到し、チームぐるみで村井チーフの手法を取り入れるケースも増えています。

「どうせ予定通りには進まない」

 限られた時間を有効に使い、生産性を高めつつ、自分の生活も充実させる。多くのビジネスパーソンにとって、時間管理は関心のあるテーマです。少し前には手帳術に関連した書籍がヒットし、時間管理を中心に、効率の良い仕事のさばき方を解説した『7つの習慣』(キング・ベアー出版)や『なぜか「仕事がうまく行く人」の習慣』(PHP文庫)などもロングセラーとなっています。

 人材サービス会社のインテリジェンスの古市知元・常務執行役員は、『なぜか「仕事がうまく行く人」の習慣』で解説されている時間管理や書類整理などの生産性改善手法に感銘を受け、その手法を実践するコンサルティング会社の指導を受けて、社員の行動改革を行いました。2002年に数人のチームで着手した取り組みは全社に波及し、2005年にはある事業部で社員一人当たりの生産性が2倍以上になるといった成果も生み出しました。

 ただこのように、組織全体で時間管理に取り組み、浸透させる例はまだまだ限られています。NPO法人日本タイムマネジメント普及協会理事として、企業向けに時間管理の研修やコンサルティングを行う行本明説氏は「最近は徐々に増えてきたが、2002年ごろまでは積極的に時間管理に取り組むのは外資系企業だけ。日本企業の関心は極めて低かった」と話します。

 日本企業で時間管理の習慣が浸透しにくいのはなぜなのでしょうか。1つには「どうせ計画を立てても、その通りに仕事が進まない」と考えられていることがあるでしょう。特に顧客からのクレームなどを受け、トラブルシューティングに走り回る営業担当者やIT系の開発担当者ではそうしたケースも多そうです。実際、リクルートスタッフィングの村井チーフもそういった事態に何度も遭遇しています。ただし村井チーフの場合には、その日にやるべき業務を書き出したタスクシートで仕事の進ちょくを管理しているため、自分が急に客先に出向く必要が生じても、同僚や部下に残ったタスクを渡して後を委ねることができるとか。頭の中で仕事を管理せず、文字にして他人に理解できるようにしているからコミュニケーションも早いのです。

「長時間残業神話」からの脱却

 もう1つの要因として、組織ぐるみの時間管理を実施すると、「上司に管理される」「行動を束縛される」という心理的な抵抗感が生まれることも挙げられます。ダスキンの代理店などを営む武蔵野(東京・小金井)の小山昇社長が、「外出や会議だけでなく、すべての仕事の予定をグループウエアに登録し、全社で共有する」という方針を打ち出したときも、社員の多くが同様の抗議を口にしました。そこで小山社長は「ダミーでもいいからとにかく入力してくれ」と呼びかけました。「自分の行動を喜んでオープンにする人間はいない。とにかくやってみることで、徐々にそのメリットに気づくはず」と考えたのです。その狙い通り、当初は不承不承予定を入力していた社員も、「毎日の仕事を洗い出すので漏れがなくなる」、「予定時間内に仕事を終わらせようとすると効率が上がる」、「他人の仕事の予定が分かれば、ミーティングの時間も取りやすい」といった利点を徐々に理解するようになり、今ではほとんどの社員が出社から帰宅までの仕事の予定を入力しています。

 3つ目の要因は、「働いた時間で人を評価する」という組織文化です。これは最も根深いものかもしれません。企業向けに時間管理の教育研修などを行う人事コンサルティング会社アパショナータのパク・ジョアン・スックチャ代表は「対外的には『時短の推進』『生産性の向上』を掲げながら、実際は長時間労働を良しとする経営者はまだまだ多い」と話します。自分の仕事が終わっても、周囲が残業していると居残らざるを得ない、もしくは早く仕事が終わった人に仕事を渡してしまう。こうした状況が常態化している企業では、時間管理をきっちりやって自分の時間を増やそうというモチベーションも長続きはしないでしょう。

 あるメーカーの人事担当者は、入社後1~2年の社員が、「毎日終電帰りだ」「ずっとテンパっている」と忙しさを自慢し合っている様子を見てがく然としたと言います。そんなに多くの仕事をこなす裁量も能力もないのに、「忙しいことが社会人の価値」と勘違いして、仕事の質や密度を無視して、働いた時間の長さに価値を見いだす。その人事担当者はこうした風土を改めようと、時間管理をはじめとした、仕事の「良い習慣」を身に付けさせる研修を展開しています。

 日経情報ストラテジー9月号では時間管理に関する特集記事を掲載しました。時間管理をしない理由はこのほかにも山ほどあるでしょう。しかし取材を終えて、よりよく時間を使い、よりよい人生を送る上で、時間管理は一定の成果を生み出してくれるはずだと感じています。『なぜか「仕事がうまく行く人」の習慣』の著者ケリー・グリーソン氏は、同著の中でこんなエピソードを紹介しました。「末期患者の治療をしていた米国の医学博士は、『オフィスの中で過ごす時間がもっと欲しかった』と悔やむ患者がひとりもいないことに気づいた。患者たちが悔やんだのは、愛する人たちとの関係がうまくいかなかったこと、あるいは愛する人たちとの時間をうまく使えなかったことだった。手遅れになるまで放っておいてはいけない。いちばん重要とはいえない仕事に、膨大な時間を費やしたと悟ってもしかたがない」。