携帯電話/PHSの契約数がついに1億を突破した。電気通信事業者協会(TCA)が毎月発表している契約数の統計によると,2007年1月末に携帯電話が9531万5200契約,PHSが490万9300契約となった。この合計は1億22万4500契約となり,移動体通信サービスが始まって以来,初めての1億契約に到達した。

 8年前の1999年1月末には,携帯電話の契約数は約4000万,PHSが600万弱で,合計4600万契約を少し下回っていた。その直後,99年2月にNTTドコモがiモードのサービスを開始し,「話すケータイから使うケータイへ」のキャッチフレーズとともに,携帯電話が各種サービスの窓口になる先駆けとなった。最近では伸びが鈍化しているとはいえ,8年で契約数は倍増し,国民の人口にもかなり近づいてきたことになる。

機能とサービスが需要を生み出してきた

 この8年の間に,携帯電話はWebブラウザやメール機能が標準装備になり,液晶のカラー化,カメラの搭載,アプリ実行環境の整備などが着々と進んできた。おサイフケータイやワンセグの視聴といった新たな付加価値を備えた製品も増え,また音楽を携帯電話で聴くスタイルも広がりつつある。ハードウエアの進化と新しいサービスの提供が両輪となって,需要拡大に貢献してきたと言えるだろう。

 日本の2007年1月1日の人口推計値は1億2275万人なので,携帯電話の人口普及率は約81.6%にまで達した。プライベートや仕事で複数台を使い分けている人も多いだろうから,今後の契約数が増えないという結論には至らないが,これから8年で倍増ということも考えにくい。契約数の観点からは,かなり成熟した産業になりつつあるわけだ。

 その間に,日本の携帯電話市場は世界の先端を走るという評価から,ローカル市場との評価に変わりつつある。いまやブラウザやメール,カメラなどの機能は多くの国で販売されている携帯電話に共通のものになり,機能・サービスともに日本が最先端とは言えなくなった。HSDPAやWiMAXなどの高速サービスではお隣の韓国に先を越されて,インフラ面での優位性も盤石とは言い難い。

 グローバルスタンダードは,必ずしも局所での最適解にはならない。海外ベンダーの端末をそのまま持ってきても,国内ではユーザーに評価されない。その一方で,国内市場で勝ち抜いた高評価の端末を作ってもそれはそのまま海外に展開はできず,数の効果に期待できないジレンマがある。とはいえ,国内で独自の発展を続けてきた「ケータイ」が,その流れの中で成長してきたのも事実である。

07年春モデルの衝撃

 そんな状況の中で今年の春モデルの端末が,1月中旬以降に携帯電話/PHS事業者各社から発表された。記者は,一連の発表に一種の衝撃を受けた。なぜなら,今回の各社の発表は文字通り「端末の発表会」だったからだ。

 端末の機種数は非常に多くなった。10数機種を並べた会場は壮観だし,多色展開でファッションショーさながらのプレゼンテーションをした事業者もあった。それ自体はユーザーの嗜好への対応ということで好ましいことと言えるだろう。ただし,今回はほとんど事業者のサービスらしいサービスの発表がなかった。端末のデザインや,ワンセグや液晶のクオリティといった搭載する機能の紹介には時間が割かれていても,サービスの側面が語られることはほとんどなかった。携帯電話「事業者」の発表会なのに,端末メーカーの総合発表会の様相を呈していたと感じられたのだ。

 これにはいくつかの要因がからんでいる。一つは,2006年10月から始まった番号ポータビリティの緒戦を制するために,各事業者ともそのタイミングに向けてさまざまなサービスの提供や料金施策を進めてきたことが挙げられる。半年では新しいものを創り出す余裕がなかったというわけだ。もう一つは,春商戦が量を稼ぐ時期であり,高機能モデルよりも普及機に力を入れるタイミングということ。NTTドコモは普及モデルの70Xiシリーズを中心とした発表であり,KDDIやソフトバンクモバイルも量販モデルの位置づけの製品が目立った。

 それでも,と記者は思う。自社のサービスを訴求しない「通信事業者の発表会」とはなんぞや。もちろん,今回は上記のような理由による巡り合わせだったのかもしれない。しかし,国内での加入の伸びが鈍化し,国際競争力にも大きな疑問を投げかけられる今,各社が足並みをそろえて訴えかける通信サービスを提示してこなかったことに,一抹の不安を覚える。

 HSDPAや,WiMAX,Rev.Aなどの高速データ通信が可能なインフラの整備は,国内でこれから順次進んでいくだろう。そのときまで,新しいサービスを隠し球として持っていてくれるならばまだいい。だが,すでにもう付け加えるものがないとしたら……。国際市場に影響を与えられないだけでなく,日本というローカル市場だけで見ても,携帯電話がある種の“文化”を生み出してきた魔法の小箱から,単なる道具へと変わっていく。2007年はそうした転換点になってしまうのかもしれない。