「Windows Vista」と「Office 2007」が,マイクロソフトの公約通り2006年中にリリースされることがほぼ確実になった。ボリューム・ライセンス(VL)契約を結ぶ企業ユーザーは,11月30日になればVistaとOffice 2007を購入できる。ただし,肝心のDVD-ROMがユーザーの元に届くのは2007年に入ってからであり,それまではVL契約者専用のWebサイトで,プログラムをダウンロードするしかない。異例の事態を招いた背景には,これ以上スケジュールを延期できないマイクロソフトの事情があった。

「売るわれわれは大混乱」というパートナの声

 Windows VistaとOffice 2007のリリースは,様々な面で異例である。まず冒頭に挙げた製品の提供形態だ。これまでも,開発者向けの有償情報サービス「MSDN Premium」のWebサイトでは,最新のマイクロソフト製品をいち早くダウンロードできた。ただし,これはあくまでも,開発者向けの「検証版」のダウンロード・サービスである。ライセンスを正式に購入する製品版が,VL契約者向けのWebサイト「Microsoft Volume Licensing Service」で配布されるのは,Windows VistaとOffice 2007が初めてのことになる。

 これを「DVD-ROMのプレスが終わる前に,製品をVL契約者向けに届けるサービス」と前向きにとらえることは可能だが,実態は「製品を発売したという事実作りのための,つじつま合わせ」としか思えない。あるマイクロソフトの販売パートナは,「Windows VistaとOffice 2007は,販売ばかりが先行している。ディスク・キットが届くのは1月だし,第一まだ,ライセンスに関するルールが正式発表されていない。売るわれわれは,大混乱に陥っている」と憤る。

 この販売パートナを当惑させているのは,Windows VistaとOffice 2007に関する「製品使用権説明書」(VL契約における製品ごとの使用権や制限を説明したもの)や,VL契約でどの製品が購入できるかを説明した「製品表」が公開されなかったことだ(同社は11月8日遅くに,Webサイトで製品表だけ公開している)。これらはライセンスに関する基本的なルールであり,それらが公開されない状態でライセンスの販売活動が行われているのは,異常事態としか言いようがない。

ユーザーにとって不都合な情報は後回し

 Windows Vistaのライセンスに関しては,先日もいきなり「Windows Vistaのライセンス移管は1回まで」というニュースが報じられ(関連記事:Windows Vistaのライセンス体系が変更,マニアに厳しいものに),その後あわてて「Windows XPと同じにする」(関連記事:米Microsoft,「Windows Vista」のライセンス移管条件を緩和)と米Microsoftがブログで撤回した。ライセンスの変更は本来,もっと早い段階で告知すべきことだろう。

 なお英語版のEULA(エンド・ユーザー使用許諾契約書,End User License Agreement)は,米MicrosoftのWebサイトでダウンロードできる。気になる方は,ぜひEULAを読んでいただきたい。ITproでもEULAに関する解説記事をお届けする予定だ。

 記者はまた,Windows Vistaのボリューム・ライセンス版でアクティベーション(ライセンス認証)が必要になることが,発売直前の10月になって公表されたことにも当惑している(関連記事:「企業向けWindows Vista」の真相,アクティベーションに留まらない変更点)。ボリューム・ライセンス契約でしか提供されない「Windows Vista Enterprise」を使うためには,ユーザー企業が社内で「アクティベーション・サーバー」を運用しなければならない。しかも,Windows Server 2003でアクティベーション・サーバーを運用するための追加プログラムがリリースされるのは,2007年前半の予定だ。それまでは,クライアントOSであるWindows Vistaで,アクティベーション・サーバーを運用しなければならない。

 マイクロソフトは8月に,ボリューム・ライセンス版のWindows Vistaが無償ツールを使って社内展開できることを,報道機関向けにアピールしている(関連記事:マイクロソフト,Windows Vistaのイメージ展開ツールを無償提供)。社内展開のためにはアクティベーション・サーバーが必要だということも,この時点で説明してほしかった。ユーザーにとって不都合な情報がすべて後回しになっているのが,Windows VistaとOffice 2007の実情だ。

 Windows VistaとOffice 2007は,製品の優劣を語る以前に,売るための準備と,企業内で運用するための準備が全く整っていないのだ。なぜマイクロソフトは,準備の整っていない製品を2006年内に発売するのだろうか。事前説明が長くなったが,これが今回の「記者の眼」の本論である。

迫るSAの有効期限切れが,マイクロソフトを焦らせる

 マイクロソフトが,Windows VistaとOffice 2007を年内に発売しなければならない事情。それは「有効期限切れの迫ったソフトウエア・アシュアランス(SA)」の存在だ。

 SAとは,3年の契約期間の間,ライセンス料金を前払いする代わりに,契約期間内に登場する新バージョンを無料で利用できるようにする制度のことだ。マイクロソフトは2001年10月に,それまで存在したVL契約におけるアップグレード・ライセンスを廃止して,SAを導入した。

 SAの有効期限は,基本的に3年間である。つまり,製品が3年以内にアップグレードされないと,ユーザー企業にとってSAは「支払い損」になってしまう。そして「Office 2003」が発売されたのは,2003年9月のことであった。つまり,2003年内にOffice 2003を購入した企業ユーザーのSA有効期限は,2006年末で切れてしまう。

 2003年にOffice 2003とSAを購入した企業ユーザーは,恐らく「親マイクロソフト」であり,マイクロソフトを信頼していたはずだ。マイクロソフトが2006年内にOffice 2007を発売できなければ,シンパの信頼を一気に失うことになる。

 しかもマイクロソフトは,Windows VistaとOffice 2007で,今まで以上にSAを売る考えだ。その象徴が「SAを買わないと購入できない」Windows Vista Enterpriseである。つまり,このタイミングでSAに対する信頼が消え去ることは,マイクロソフトにとって最悪のシナリオなのだ。

 自ら導入したSAに首を絞められているマイクロソフトの現状が,お分かり頂けただろうか。

マイクロソフトの存在意義に反するSA

 2001年にマイクロソフトがSAを導入した目的は,収入の平準化にあった(表向きの理由は「アップグレード・ライセンスの廃止によるVL制度の簡略化」である)。1990年代におけるマイクロソフトの悩みは,自社の売上高が「新バージョンが発売された年」と「新バージョンが無かった年」で変動することだった。売上高の変動を抑えるためには,他の企業向けアプリケーション・ベンダーが課している「保守料」のような,定期的な収入源が必要だった。

 しかしマイクロソフトは元々,高額な保守料をユーザーに課すことで暴利をむさぼる既存のコンピュータ・メーカーに対する「革命勢力」として台頭した存在だ。「保守料という『くびき』からの解放」は,マイクロソフトが所属するパーソナル・コンピュータ業界そのものの思想でもある。つまり保守料を徴収することは,マイクロソフトの存在意義に反する。そこでマイクロソフトは,苦肉の策として「保守料ではないソフトウエア・アップグレード権」としてSAをひねり出した。

 しかし,SAも結局,形を変えた保守料に過ぎなかった。最近ではアップグレード権以外にも,サポート権などの特典が追加されており,SAはますます保守料化している(関連記事:姿を変えるマイクロソフトの「ソフトウエア・アシュアランス)。

マイクロソフトに提案

 SAの現状を踏まえて,記者はマイクロソフトに提案したいことがある。

 現行のようなSAを販売し続けることは,ユーザーにとって迷惑にしかならない。どうしてもSAを販売したいのであれば,いっそ「SAは保守料」と宣言するべきだ。「Windows Vista EnterpriseやOffice 2007 Enterprise,サーバー製品を使うためには保守料が必要だ」と言う方が,よほど誠実である。その上で,ドイツSAPのように「5年間はアップグレードしない」と宣言するのも,1つの見識である。

 もちろん,米Oracleのような「保守料を払っているユーザーにしかセキュリティ修正プログラムを提供しない」存在になれと提案している訳ではない。「保守料を払っていないユーザーに,今以上の不利益を与えない」という条件は必須である。

 記者は記事を書く上で,常にシステム管理者(システム管理部門)の視点に立つことを心がけている。SAの有効期限が切れることで,社内での立場を無くすシステム管理者がいる。それを考えると,Windows VistaとOffice 2007が年内に発売されることは,前向きに評価できる。しかしそうなることで,システム管理者が迷惑するのでは困る。マイクロソフトには,ユーザーにとって不都合な情報があるならば,それを率先して公表する誠実さを示してほしい。