日経情報ストラテジーの12月号で,総力特集「スピード時代に成功するプロジェクト・マネジメント」を担当した。ここでITproの読者に前もってご了解いただかなければならないのは,ITプロジェクトを柱にすえた特集ではなく,事業や新商品の立ち上げなどビジネス・プロジェクトの事例が中心ということである。

 情報ストラテジーは「ビジネスの最前線で実施されているマネジメントをHow To的に解説して読者に仕事のヒントを提供する」という媒体である。NHKの「プロジェクトX」のように人間模様にスポットを当てて視聴者を感動させることを主体にしたドキュメントとは,掘り下げる視点もまとめ方もやや異なる。

 しかしそうはいっても,取材記者がインタビューをしていて感銘を受けるのは,やはり「なぜここでチームは頑張れたのか,どんなカベにぶち当たり,どう頑張ったのか」を生々しく語っていただいた瞬間なのだ。

 そうした情熱や努力を感じさせる言葉をまず,総力特集で掲載したプロジェクト・リーダーたちの言葉の中から拾ってみよう。

 「求めたのは自分の中にエンジンを持っている人。自発的に動き判断できる人材だ」――これは,楽天野球団(東北楽天ゴールデンイーグルス)の社長に2004年10月就任し,わずか120日間で新球団を立ち上げた島田亨社長のコメントだ。同氏は球団事業の立ち上げと同時に中途採用を併行して進めなければならなかったのだが,最も採用で重視したことは?との問いの答えがこの言葉だった。
 
 「プロジェクトの初期段階で,誰が何を最終判断するか,『決め方』を決めてしまった」――これは,2005年8月からカルビー(東京・北)の「Jagabee(ジャガビー)」全国発売プロジェクトのリーダーを務めた山村眞氏の言葉。チーム内の意見の食い違いを避けてプロジェクトのスピードを上げるために,山村氏自身はマーケティング・販売などの判断をし,製造・品質については部下が判断するといった意思決定の権限を取り決めた。

 そして,全国展開を前にして2006年4月,山村氏らは,製造過程で製品が焦げるというトラブルに直面し,「品質基準を下げて全国展開するか,品質を維持したまま全国展開を延期するか」の苦渋の決断を迫られる。最終的に,山村氏が選択したのは全国発売延期だった。

 「書いていることが少々間違っていても構わない。大事なのは熱意」――これは2005年8月に世に出て,同年11月日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した3代目ロードスターの開発をとりまとめた貴島孝雄・開発主査の言葉。開発コンセプトをブレさせないために貴島氏が新車開発の初期段階で作った「人馬一体」というコンセプト冊子には,1人ひとり書き込ませた開発技術者約200人分の言葉が載っている。

 例えば,「人馬一体を実現することとは,ドライバーが意のままに操れる車を作ること。担当を離れるまで常に人馬一体を実現することを考えながら,日々の業務を進めていきたい」「できるだけ対策に質量をかけずに衝突性能の目標を実現する」といった想いだ。開発に入る前の悩みのないきれいな気持ちを1人ひとりに書き残させておいたのは,開発者たちが行き詰まったときに原点に立ち返る“よりどころ”にしてもらうためだったという。

 「慣性でやってきた業務を改革するには相当大きな力が必要となってしまう。現場同士で協議していては時間がかかる。調整を待っている時間はない」――これはIT(情報技術)を活用した業務改革の推進リーダーを務める京都府の猿渡知之副知事の言葉だ。

 猿渡副知事は,開発スピードを上げるために自らの部屋をプロジェクトルームにして,システムの利用部門と電子府庁推進室,ITベンダーといった関係者を全員集めている。迅速にIT化を進めるために業務プロセスを見直す必要があれば,その場で利用部門に見直しを指示し,てきぱきと副知事主導で決めていく。2008年度までに500億円にも上る単年度の収支不足を解消できるかどうか,その重責が猿渡氏の双肩にのしかかっているだけに,スピードを意識した意思決定プロセスを取り入れた。

カシオの電子ピアノ事業にも「プロジェクトX」が

 このほか,特集の第2部ではプロジェクトのスピード化を推進する4つの力として,「目標構想力」「適用自在力」「巻き込み力」「臨機応変力」を取り上げた。「目標構想力」編では松下電器産業とカシオ計算機,「適用自在力」編では星野リゾート,「巻き込み力」編では三洋電機と東京スター銀行,「臨機応変力」編ではGEコンシューマー・ファイナンスとセイコーエプソンの事例を紹介している。

 第2部はマネジメント面に重きを置いた解説記事になっているため,リーダーの言葉にはあまり字数を割いていない。しかしこの場で,実際は,第1部の事例記事に負けず劣らず気概溢れる挑戦者たちに多くお会いできたことをご報告したい。

 特に,「世界一の数量シェアを奪取する」と宣言して2002年に始まったカシオ計算機の電子ピアノ「プリヴィア」の開発プロジェクトは,取材に立ち会った事例の中でもドラマチックなものだった。特集では,「どう技術上の課題を乗り越えたか」を中心に解説記事を掲載しているが,ここでは,ドラマ性の部分だけをご紹介する。

 プロジェクト・リーダーらは2002年夏,まず欧州に赴いて現地の販売責任者20人に「価格も重さも今までの半分(5万円程度,10キログラム強)の電子ピアノを開発する」と革新的なコンセプトを説明した。ところが欧州の販売責任者たちは信用せず「何を言っているんだ。ちゃんと木目の質感を大事にした高級感のある製品を作ってくれ」と冷ややかだった。

 開発リーダーのコンシューマ統括部第4開発部商品企画室の安藤仁室長は,しらけた反応を目の当たりにしてもひるまず,「技術陣は頑張ったけれども従来の開発方針では成果が出なかった。この商品は今までにないカシオらしさを持ったものになるし,お客さんの電子ピアノへの見方をきっと変えてみせる。今の時期だからこそ最優先でやりたい」と通訳を通じて切々と思いを訴えた。だが,現地の販売責任者たちには伝わらなかった。

 日本に戻ると,前機種の数倍の開発費用をかけて安藤氏らは開発を進めた。樹脂成型の鍵盤を1から新規開発するために起こした大型の金型などに費用がかさんだ。「これで失敗したらカシオは電子ピアノ事業から撤退するしかない」というほどの決意で,弾き心地の改良を重ねた。

 開発スケジュールは押せ押せだった。従来の6割程度の開発日数しかなかった。翌年の2003年7月,今度はその欧州の販売責任者らがカシオ本社に来日して試作品を弾きにくることになったが,何と前日まで音がうまく出なかったという。そんな綱渡りで迎えた当日,「従来機の半額だからどうせそれなりのものだろう」という顔でやってきた欧州の販売責任者たちが「いまの製品の鍵盤よりタッチがいい。素晴らしいと思う」と口々に褒めた瞬間,安藤氏らは「欧州での言葉を裏切らずに済んだ」と安堵した。

 そうした苦闘を経て,2003年秋に国内,2004年に海外で発売されたプリヴィアは大ヒットした。日本や米国など国内外で本格的に家電量販チャネルに乗せることにも成功した。2004年6月に安藤氏ら開発リーダーと販売リーダーはそれぞれ社長賞を受賞した。2004年の世界市場の販売台数シェアが2002年度に対して倍増し、同社推定で3割を越えた功績を認められてのものだった。その後もシェアは2005年に4割に伸びて世界一の台数シェアを獲得したという。

 カシオは1980年代,電子楽器事業で数々のヒット作を生み出していた歴史がある。そして80年代半ばに入社した安藤氏らは「『電子楽器メーカーとしてのカシオ』に憧れて入社した人がかなり多かった世代」(広報部)だという。花形事業はデジタルカメラなどへ変わってしまった今でも「カシオでずっと楽器を作り続けて来られた自分は幸せ」と安藤氏は言う。「たくさんの人に愛される楽器を作りたい」という思いを秘めて,日陰部門から大輪を咲かせた一連の談話には,熱い「技術者魂」を感じることができた。

取材先リーダーの苦労を自分も実感

 このようにいくつか事例を取材しつつ,一番気にしていたのは,若手記者たちが面白がって取材をしているかどうかだ。取材したあとの表情,報告で面白かったと何度も言ってくれた時,おおむね順調に特集取材は進行しているとようやく安堵できた。ただしその一方で,特集全体の構成案の切り口に合ったバランスで事例が集まらなかった,ITプロジェクトに関しては候補を挙げたもののうまくアポが入らなかった,若手記者の取材に同行していながら執筆するに足る材料が集まったかどうかを見誤った事例があった,などの反省点もあった。

 取材先のビジネス・リーダーと比較するのはどうにもおこがましいが,特集のまとめ役をして,チームを率いる苦労と喜びが少しわかったような気がする今日このごろだ。