安倍晋三首相は9月29日の所信表明演説で,「イノベーションの力とオープンな姿勢により,日本経済に新たな活力を取り入れ」ていく,と述べた。この演説内容を読んで筆者が最初に思い浮かべたのは,ジャガイモである。ここ1年くらいの間に聞いた話の中で,もっとも面白かったのが,ある会社が計画している「ITによるジャガイモのイノベーション」であったからだ。

 その会社の構想はこうである。美味しいジャガイモを育てる。その時にITを利用する。収穫したジャガイモを必要な時,必要なだけ工場へ届ける。その時にITを利用する。ジャガイモを使った新しい菓子を創造し,マーケティングし,販売する。その時にITを利用する。一連の活動に数値目標を設定,常に改善していく。その時にITを利用する。

 この構想は,経済学者のシュンペーターが『経済発展の理論』の中で述べたイノベーションの定義に合致する。シュンペーターは,イノベーションを「生産的諸力の結合の変更」と定義した。実際には,「新結合」という意味の言葉をシュンペーターは使っており,これがイノベーションと訳された。

 新結合の例としてシュンペーターは,新しい財貨の生産,新しい生産方法の導入,新しい販路の開拓,原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得,新しい組織の実現,を挙げる。つまり,それまでとは異なること,既存のやり方の延長線上にはないことに挑戦して成果を出すことを意味し,必ずしも技術の革新を伴うとは限らない。

 ジャガイモのイノベーション構想は,ジャガイモを使った新しい菓子の創造(新しい財貨の生産),その菓子の大量生産方式の実現(新しい生産方法の導入),コンビニエンスストア向け製品の用意(新しい販路の開拓),ジャガイモそのものの革新(原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得)を包含しており,まさに新結合を目指すものと言える。

 イノベーションは技術革新と訳されることが多いが,シュンペーターの定義は広い。ちなみに広辞苑の第三版で「イノベーション」と引くと,次のように書いてある。

「新機軸または革新の意。生産技術の革新に限らず,新商品の導入,新市場または新資源の開拓,新しい経営組織の実施などを含めた概念で,シュンペーターが景気の長期波動の起動力をなすものとして用いた。わが国では技術革新という狭い意味に用いる」

 筆者がジャガイモのイノベーションを面白いと思った理由は,ITの様々な利用方法が入っていたことだ。生産管理,物流管理,販売管理といった基幹業務の処理,さらには設定した数値目標に対する達成度合いを見るための情報システム,といったテーマが盛り込まれている。何と言っても,ジャガイモの栽培そのものにITを使うところが興味深い。ジャガイモは繊細な植物らしく,水の量によって出来が相当変わってくるという。そこで地面にセンサーを埋め込み最適の水量を算出した上で水を供給する仕組みや,ジャガイモ畑ごとの栽培カルテを作って畑ごとに最適の肥料を与える仕組みを用意していく。

 ITはコンピュータとネットワークを指すのだろうが,もともとコンピュータは計算機であって,事務計算にも機器の数値制御にも技術計算にも使われてきた。ただし,ビジネス需要が飛躍的に伸びたため,いわゆる企業情報システムとしての利用が主になった。確かに管理の仕組みは大事である。だが,管理ばかりしていても企業や社会は発展しない。シュンペーターが指摘したように,企業家によるイノベーションが必須である。そしてITは,金勘定だけではなく,創造や革新といったイノベーションを支援することができる。ジャガイモのイノベーション構想は,センサーネットワークなどの最新ITを,創造のために使おうというものである。

 イノベーションのためのITという話は,聞いていて楽しい。正直言って,全世界の営業担当者の挙動を米国本社のCEO(最高経営責任者)が毎日把握できるようにするシステムとか,CEOが暴走したら元も子もないのに用意する内部統制システムとか,あるいは技術だけでは解決できないのに社員をがんじがらめにする情報漏洩対策といった話を聞くより,美味しそうなジャガイモ菓子を作る話のほうがはるかに面白い。

 農業へのIT利用というのは,昔から検討されてきたテーマであり,今回の挑戦がうまくいくかどうかは分からない。それでも「北海道のジャガイモ栽培を革新し,安くて美味しく,国際的にも競争力があるジャガイモを調達,斬新なアイデアの新製品を作って世界市場を目指します」などと言われると,応援したくなってくる。

 楽しいジャガイモのイノベーションを考えている企業とは,カルビーである。カルビーは広島生まれの企業であり,何年かに一度,大型商品を生み出してきた。筆者が2005年に作っていた日経ビズテック誌において,『広島発祥企業の研究』という特集を組んだ時には,カルビーに寄稿をお願いしていた。