最近,パソコンに対する関心がめっきり減った。とにかく“驚き”がない。昔のパソコン少年としては悲しい限りである。

 筆者にとってのパソコンとの出会いは,中学入学直後に父親がNECのPC-8801mk2を買ってきたことだ。親はすぐに飽きてしまって,子供達のおもちゃになったのである。当時は市販ソフトは少なかったし,そもそもお金がなかった。そこで筆者は兄と一緒に,雑誌に載っているBASICのプログラムをせっせとパソコンに打ち込んだ。

 今でも,自分で入力したプログラム(ほとんど意味も分らず入力していたが…)で,あるシューティング・ゲームが無事動いたときの感動を覚えている。少し大げさだが,ものづくりの喜びというべきか,ドラえもんが我が家にやってきたような感覚だったと言うべきか。とにかくパソコンは,“僕たち”をワクワクさせてくれるものだった。筆者は先日35歳になったばかりだが,この年代以上のITpro読者なら同じ経験を持っている人も多いと思う。

 しばらくたって,市販のソフトが出回るようになり,自分でプログラミングすることは少なくなった。実際私も数カ月でプログラミングは断念してしまった。それでも,パソコンはソフトを追加することで,これまでに考えてもみなかったことを可能にする「魔法の箱」だった。これはハード面でもいえることで,ISA/PCIバス(もしくは昔のPC-9800のCバス)にボードを追加したりすれば,多種多様な周辺機器が使えるようになった。

 こういった拡張性が,パソコンに未来を感じさせた一番の魅力だったと思う。実際にワープロ専用機がパソコンに駆逐されて,市場から消えたときもごく自然なこととして受け止めた。筆者の感覚だと,1990年代の半ばくらいまでは,パソコンの感じさせる未来にワクワクできたと感じている。

パソコンは厄介者扱いに

 ところがいつからかそうでなくなってしまった。最近改めてこう考えたきっかけは,日経コンピュータで「さらばパソコン」というタイトルのシンクライアント特集を担当したことだ。

 特集では20社以上の企業を取材したが,パソコンを使ってこれからも業務革新を実現していくという前向きな声はほとんど聞こえてこなかった。むしろ多くの企業は,パソコンの管理やセキュリティ確保に苦労しており,それを解決する手段としてシンクライアントに注目が集まっているというのが実態なのである。

 あえて言うが,パソコンが厄介者に近い存在だと受け取られている,と感じたのだ。こうした考えが強くなってきている直接の理由は,個人情報に対する考え方の変化や一連のWinny騒ぎ,WindowsやOffice,ERPパッケージなどのバージョンアップに伴う労力が大きくなっていることだ。企業のクライアント・マシンでは,必要なソフトさえきちんと動くなら専用端末でいいと考えるのは自然な発想だろう。

 セキュリティや管理の容易さだけを見れば,ローカルにデータを持たないシンクライアントが優れているに決まっている。シンクライアントになっても,メールやブラウザ,それにMicrosoft Officeなどは従来通り使えるし,画面は通常のWindowsのデスクトップなわけで,利用するユーザーにとっては「パソコンのハードが変わった」くらいにしか思わない。それほど利用が広がっていないのは,パソコンに比べて導入コストが高いということに尽きると思う。

 企業の業務利用の話だけならまだよい。だが,筆者にはそもそも根底に「パソコンが必要とされなくなっている」のではないかと感じている。

 現在も,パソコンにソフトを追加したり,ハードを拡張したりするのは可能である。むしろ作業そのものは簡単になっている。にもかかわらず,現実に多くのユーザーはそういった使い方はしていない。多くの人は,Webブラウザとメール・ソフト,それにMicrosoft Officeがあれば用が足りる。パソコンはもはや人をワクワクさせるものではなくなり,決まったことを決まった形で処理するための道具になっているのではないだろうか。

技術革新も減っている

 最近のパソコンの技術革新を見ても,筆者が興味を持てたのは,ハードディスクの代わりにフラッシュ・メモリーを二次記憶装置に使う試みくらいだ。耐障害性などを考えれば二次記憶装置に半導体を使う意味はあるだろうが,一般のパソコン・ユーザーにしてみればハードディスクだろうが,フラッシュだろうが関係ないというのが正直なところだろう。インテルが推し進めている「vPro」にしても,管理者にメリットがあることは分かるが,昔のパソコンがもたらしてくれたワクワク感を提供してくれるものではない。

 最近のコンシューマ向けのパソコンの新製品を見ると,各メーカーの担当者ですら“パソコンでできるワクワクできること”を見つけられずに苦労しているように思える。例えば,最近の家庭向けパソコンはテレビ機能を搭載した「テレパソ」が主流だが,これがパソコンの進む方向なのだろうか。個人的には違和感を払拭できずにいる。

 むしろ最近,強く興味を感じるのはWebブラウザの中である。そこでは,米グーグルなどの企業が,さまざまなサービスを提供している。Gmailに代表されるAjaxを使ったサービスに触れるたびに,こうした思いは強くなる。

 パソコンの専売特許だと思っていたような,ワープロや表計算ソフトが,ブラウザさえあれば動くようになった。「Writely」や「Google Spreadsheets」といったサービスを体験してみた読者も少なくないと思う。こういったネット上のサービスを組み合わせて新たなサービスを生み出す手法をマッシュアップというが,筆者も自分でマッシュアップした個人のWebサイトをつくってみたいと考えることもあるくらいだ。

 現在のところ,これらのサービスを使うのに最も適した端末がパソコンなので,筆者もパソコンを使っている。だが,ブラウザの動作に最適化した別の端末が登場しても,同じようにパソコンを使い続ける自信はなくなりつつある。

 もっとも,筆者自身は今後パソコンのあるべき姿について,明確な答を持っているわけではない。さらに低価格化が進んで,パソコンが1台2万~3万円で買えるようになれば,10年後には「パソコンである必要はなくても,安いからみんなパソコンを使っている」ようになるかもしれない。ただ,一人の元パソコン少年としては,ワクワクさせてくれるパソコンの登場を願っている。

 そのためには,米マイクロソフトや米インテルに奮起してもらうしかないのだろうか。個人的には筆者にパソコンの喜びを与えてくれたNECだったりすると嬉しいのだが,無い物ねだりなのかもしれない。