先日Turboブランドの復活を発表した米Borland Softwareの,デベロッパーリレーションズ担当副社長兼チーフエヴァンジェリストであるDavid Intersimone氏が来日した。ITproでインタビューする機会を得たが,詳しいインタビュー内容は同席した別の記者が執筆する予定なので,ここではインタビューの感想とボーランドに関する記者の思い出を語ってみたい。

 若い人々はあまりご存知ないかもしれないが,ボーランドはその昔,マイクロソフトと開発ツール分野でがっぷり四つに組んでいたベンダーである。「開発ツール分野で」という限定に,「何だ」と思ってはいけない。マイクロソフト日本法人が自社ブランドでOSを販売し始めたのはWindows 3.1を出荷した1993年からであり,それ以前のMS-DOSやWindows 3.0はOEM(相手先ブランドによる製造)で提供されていた。マイクロソフトが1980年代に自社ブランドで販売していたのは「Microsoft BASIC」などの開発ツールがメインだったのだ。もっと前にさかのぼれば,そもそも米IBMにMS-DOS(PC-DOS)を供給する以前の米Microsoftは,BASICで稼いでいた会社である。ちなみに,ボーランドもデスクトップ・データベース製品(Paradox,dBASE)や表計算ソフト(Quattro Pro)などを販売していた時期があるが,開発ツール・ベンダーから脱却するまでにはいたらなかった。

 ボーランドのTurboシリーズは,8ビット・パソコン(当時はマイコンと呼んでいた)向けに初めて出荷され,後にMS-DOS用のメジャーな言語製品の一つとなった。コマンドライン・コンパイラ/リンカー/デバッガが一般的だった時代に,いち早くIDE(統合開発環境)を導入するなど,プログラミング初心者にとって使いやすいツールを安価で提供することで地位を築いたのである。当時の開発ツールは,コンパイル/リンク速度や生成したプログラムの実行速度が重視されたが,Turbo C,Turbo Pascalはどちらも定評があった。記者の記憶によると,π(円周率)を計算するプログラムをコンパイルして実行したとき,Turbo Cのほうが価格的にライバルであったマイクロソフトのQuick Cよりも2倍程度高速だった。

 Windows上でのアプリケーション開発が本格的に始まった1992~1993年ころも,ボーランドがマイクロソフトを一歩リードしていた。記者が主に使用していたC/C++について言えば(ボーランドがDelphi 1.0日本語版を出荷するのは少し後の1995年である),当時マイクロソフトの主力C/C++開発ツールであったMicrosoft C/C++ではまだMS-DOS上でコンパイルする必要があったのに対し,Borland C++はWindowsで動作するIDEを備えていた。マイクロソフトが後に出荷したVisual C++と比べても,Borland C++にはいくつかのアドバンテージがあった。例えば,平面的なダイアログが標準であったWindows 3.xの上で,立体的な見栄えのよいダイアログを表示するライブラリ(BWCC.DLL)が付属していた。このおかげか,当時はBorland C++で作成したサードパーティ製のツールをよく見かけたものである。

 このほか,メニューやダイアログをデザインするためのリソース・エディタも,マイクロソフトが提供するものよりもBorland C++付属のResource Workshopの方が使い勝手が良かった。Borland C++に付属するC++のクラスライブラリOWL(Object Window Library)も,Windowsに加えてOS/2などで利用できるという特徴を備えていた。複数プラットフォーム上でアプリケーションを開発していた人には,メリットが大きかったはずだ。

 もっとも,Borland C++がリードを保っていられたのもこのころまでである。1995年12月に出荷されたBorland C++ 4.5日本語版は,Windows 95の出荷後にリリースされたにもかかわらず,Windows 95の新しいユーザー・インタフェースなどをフルに活用したプログラムを開発できなかった。記者はこれを聞いて開いた口がふさがらず,バージョンアップを1回見送ることにしたのを覚えている。

 加えて,マイクロソフトがSDK(ソフトウエア開発キット)をWebやMSDN(Microsoft Developer Network)のCD-ROM郵送サービスで配布するようになると,SDK付属のヘッダー・ファイルやライブラリのオブジェクト・ファイルがBorland C++でそのまま利用できないことが大きな問題となった。やはり,OSに近いところで勝負するC/C++開発ツールをサードパーティが作るのは難しいということだろう。結局,ボーランドはMicrosoft Visual C++のよきライバルであったBorland C++をバージョン5.0で打ち止めとし,RADツールのC++ Builderへ移行してしまった。

 ちなみに,ボーランドの技術力の高さがうかがえる点の一つに,マイクロソフト内部に元ボーランド社員が多いことが挙げられる。.NET FrameworkやC#のアーキテクトであるMicrosoftのAnders Hejlsberg氏が,実は米Borland International(現Borland Software)でTurbo PascalやDelphiを作っていたことは有名だ。社員の引き抜きがあまりに激しいので,Borland InternationalがMicrosoftを訴えたこともある。

 マイクロソフト日本法人の開発ツール部門にも,ボーランド日本法人の出身者は多い。Visual Basicのプロダクトマネージャを務めていたS氏,ボーランドのトップ・デベロッパーだったと自ら語るT氏,かつてはボーランドの顔として活躍されたO氏など,記者が知るだけでも何人もおられる。彼らによると,ボーランドを辞めて他社に移ることを「ボーランドを卒業する」と言うそうだ。


情報系でなくてもプログラミングが必要な分野は多い

 昔話はこれぐらいにするとして,冒頭で紹介したBorland Software副社長のIntersimone氏は,Turboブランドを復活させた理由を,中学生・高校生などの若い人々や,プログラミング初心者,およびプログラミングが専門でない人など,職業プログラマ以外の人々にリーチするためと説明する。「こうした人々にとって,既存のツールは高価過ぎるし,初心者には難し過ぎる。GCCをはじめ,フリーのツールは昔からあるが,初心者がいきなり使うのは難しい。Turbo Explorerなら,無償であるにもかかわらずコンポーネントを組み合わせるだけでアプリケーションを構築できる」(同氏)。